糺問主義と弾劾主義

世の中には「目的のためには手段を選ばない」人がたくさんいるが、これらの人たちは刑事訴訟法学とは無縁である。つまり、これらの人たちには刑事訴訟法を学ぶ資格がない。われわれは、刑事訴訟法を学ぶことは「目的のために手段を選ぶこと」であることをまず知らなければならない。

  • 現代青林講義・刑事訴訟法(青林書院) p3 − 庭山英雄/岡部泰昌編

ネットでいろんなページを検索していたら、おもしろいページを見つけました。「おもしろい」ってほめ言葉の意味じゃないですけど。

このページに掲載されている解法者さんの見解が素晴らしすぎる(ほめ言葉にあらず)。思わずブックマークしてしまいました。是の打ち所がなくてどこにどう突っ込んでいいのかわからない意見なんですが、このような素晴らしいページは他の方にもぜひ鑑賞していただきたいので、いくつか紹介させていただきます(以下、引用は特に注釈のない限り上記ページから)。

■解法者さまのご投稿
刑事裁判の仕組みに関するものとして「当事者主義」と「職権主義」というものがあります(「弾劾主義」と「糾問主義」にも置き換えられる)。前者は、公訴官(犯罪があったと主張する者)と被告人(犯罪を犯したとされる者)が対等な立場に立って審理を進め、お互いに自己に有利な、相手に不利な証拠を提出し合い、裁判官はそのやり取り(審理)を調整し、その提出された証拠を取捨選択して、最終的な判断(判決)を下すというものです。後者は、裁判官が積極的に裁判に介入し、公訴官および被告人にお互いに自己に有利な、相手に不利な証拠を提出させて、その証拠の採用、証人尋問なども自らが行い、真実を求めて、最終的な判断(判決)を下すというものです。

『「弾劾主義」と「糾問主義」にも置き換えられる』
置き換えちゃダメだ、この文脈で置き換えちゃダメだ。「弾劾主義」と「糺問主義」についての法律学小辞典の説明の要約は以下。

  • 弾劾主義

証拠を収集し犯人を訴追する者と訴追に応じて審理対決する者とを明確に区別し、原告・被告及び裁判所の三面構造とする方式

  • 糺問主義

裁判官と検察官(あるいはこれに相当する訴追主体)との分離がなく、裁判官が自ら手続を開始し、審理対決する方式

で、弾劾主義の項を見ると「審理の原則を裁判所主導の職権主義とするか、両当事者の訴訟活動に重点を置く当事者主義とするかは、また別個の問題である」ときっちり書いてあります。確かに糺問主義という概念が職権主義に傾いた公判の運営を批判する形容詞として用いられることも多いですが(これもちゃんと書いてあるね)、しかし当事者主義/職権主義の説明をするのに弾劾主義/糺問主義で置き換えちゃいけません。弾劾主義かつ職権主義というのはあるんですから。こんなことを書いてますから、それ以降の内容がすごいことになっています。

「糾問主義」は、欧州などの大陸で発展した、刑事司法手続きです。
わが国もかって「糾問主義」を採っておりました。この「糾問主義」の特徴は、捜査から公判・判決まで<職業的専門家>の手に委ねるというものです。わが国での戦前の「糾問主義」では、警察官は<職業的法律専門家>とはみなされず、その調書には証拠能力が認められておりませんでした。この手続における<職業的法律専門家>とは、検察官と裁判官に限定され、「高等文官司法科試験」に合格し、訓練を受けた者に独占されておりました。警察官は検察官の捜査の補助者としての地位に止まっておりました。つまり、警察官などは、<職業的法律専門家>とはみなされなかったのです。
(中略)
このように、「糾問主義」は<厳格>な刑事手続を通して、<人権の擁護>にも寄与するとも考えられていたのです。現在の刑事法学者が「糾問主義」は<反人権的制度>であると言って非難しますが、そうではありません。捜査に<職業的法律専門家>を配置することによって、違法な捜査を遮断してしまうという利点(人権の擁護)もあるのです。

どう突っ込んだらいいのかわかりません。本気で職権主義と糺問主義がまったく同じものであると思っているかのようです。明治期に日本に導入された刑事訴訟制度は、弾劾主義を中核として形成された制度です。弾劾主義かつ職権主義です。職権主義の悪い所が山のようにあって、到底ほめられた物ではありませんが。
欧州の糺問主義の典型といえばカロリナ法典(1953)ですが、そこではたとえば法廷証拠主義の要請から、一定の犯罪の嫌疑はあるがこの条件が満たされない場合には、拷問が法的に許可されていました。嫌疑刑や仮放免の制度もありました。被告人は事実上有罪と推定されました。人権の擁護に寄与する部分はどこでしょうか。

「糾問主義」から導かれる<真実の追究>は検察官のみならず被告人にも課せられます。有利不利に係らず被告人も証拠の提出義務があります。ここのところから、「糾問主義」は<真実の追究>を目的とするあまり、人民の権利をないがしろにすると非難する日本の刑事司法学者が多くおります。これは先のとおり大きな誤りですが、今だに「糾問主義」を貫いている欧州の諸国家に大変失礼な話です。フランスでは、革命を経て「人権宣言」が発せられ、人民の有する<自由・権利>の保護に極めてうるさい国です。これをどう考えるのでしょうか。

欧州諸国がいまだに糺問主義を貫いているという主張こそ、欧州諸国に失礼です。欧州諸国がかつて糺問主義を採用していたのは事実ですが、近代における啓蒙思想はこれの抜本的改革を求めました。そして新たに形成されたのが弾劾主義の刑事手続です。フランス革命がどうとか書いてますが、フランス革命の発端が当時の刑事裁判制度の象徴であったバスティーユ牢獄の襲撃から始まったことをどう考えているのでしょうか。フランス革命を契機に、糺問主義から弾劾主義に変わったことを知らないのでしょうか。

それと、制度というものは、その国家の依って立つ歴史に由来しています。これを軽々しく批判すべきではありません。フランスにせよドイツにせよ、中華人民共和国などとは異なり、国民代表選挙制度が確保されているのです。「糾問主義」を非難する<日本の刑事司法学者>、フランスの刑事学界などに出席して、あなたの国の<刑事司法制度>は、<反人権的>であると言うことができますか? そして、直ちに制度を「弾劾主義」に改めなさいと言えますか?

フランスやドイツの刑事裁判制度を素晴らしいものだと持ち上げる気はありませんが、すでに弾劾主義です。日本より早く導入しています。というか、日本の導入元です。

これ以降も突っ込みどころ満載の記述が続きますが、今回はここまで。最後に、

法においては用語の概念がとても重要です。先の用語の意味をしっかりと叩き込んでください。

…いやです。


(補足)…引用文中の表記は「糾問」になっていますが(おそらく「糺」が常用外のため)、当エントリー本文では「糺問」と記しています。