刑事裁判とは?

犯罪というのはあってはならないものであるが、悲しいことに存在し、その分だけ被害者(含む遺族、以下同じ)も存在する。犯罪被害者が速やかに救済されることは近代社会において非常に重要なことである。犯罪被害者を救済するための制度は多々用意されており、加害者に被った損害を賠償させたり、国家が救済を行ったりする。そういった公的制度以外にも、周りの人間は被害者が一日でも早く立ち直れるように協力することが望ましい。
さて犯罪被害者の救済が重要なことはもちろんであるが、それとは別に、重要な問題が存在する。加害者に対する社会としての処遇、すなわち刑事罰の問題が絡んでくる。社会秩序の観点などもあり、被害者が救済されればそれでいいというわけにはいかないのだ。
加害者をその観点からいかに処遇するかを決めるのが刑事裁判であり、その手続は刑事訴訟法に定められている。刑事裁判の目的は大きくは以下の3点である。

  • 実体的真実の発見
  • 適正手続の保証
  • 刑罰法令の適正迅速な適用実現

見ての通り「被害者の救済」というのは刑事裁判の直接の目的になっていない。被害者救済の手続は別に存在するのだ。

以前に紹介したブログのエントリーのコメント欄で、以下のコメントが目に入った。

南雲研究室 − 人権派弁護団は末期症状か(山口県光市母子殺害事件考のコメント欄から

  • ちゃんちゃんさんのコメント

現在の刑事弁護の在り方について、考えさせられる事も多々有ります。刑事弁護に携わる方の意見も解らなくは無いです。被告の弁護はもちろん大事ですが、被害者の事ももっと考えられるべきです。その点は絶対におかしいですよ。今の刑事弁護は。
(引用者注:文中の「被告」は原文ママ)

現在の被害者救済の制度が不十分なのはその通りだと思う。「被害者の事ももっと考えられるべき」とは、まさにその通りだ。しかしそれは被害者救済制度の中において行われるものであろう。刑事裁判を被害者の復讐の場にすることは正しい考えなのだろうか。

南雲研究室 − 人権派弁護団は末期症状か(山口県光市母子殺害事件考のコメント欄から

現代日本においては法律と日常が残念なことにあまりにかけ離れてしまっているのだと思います。

刑事裁判が「かけ離れている」のではなく、被害者救済制度が不十分なのだろう。だから、被害者が望む加害者への復讐を刑事裁判の場に持ち込もうとするのではあるまいか。被告人が無罪の推定を受けていることを考えずに

妄想日記 − 光市事件弁護団への不適切な批判4のコメント欄から

  • 虚無僧さんのコメント

いずれにせよ、「死刑にせよ」などと言って人を死に追いやることにそこまで積極的になれるのも、ある意味、人権や命を軽視しているようにも受け取れますよね。

私は死刑存置論者であるが、あくまで適正な手続の上に行われなければならないと思う。被害者感情にとらわれるあまり、刑事裁判の本質がゆがめられることがあってはならないだろう