文章解釈って難しいねえ

NATROMさんの日記に柳生すばるさんのとあるエントリーがネタにされていた。

ネタにされていたエントリーは以下。NATROMさんにネタにされるぐらいだから、当然トンデモエントリーである。

「9条があれば平和になる」 ←命題
「平和でないのは9条が無いからだ」 ←対偶
↑これは論理的におかしい!?
「ローマの平和 Pax Romana」とか Pax Americana とかがあるからだ。
第一・9条が出来たのは1946年のことだから
「それ以前の平和」は説明が出来ない。
人類史に平和な時代はいくらでもあったからだ。
よって「9条があれば平和になるという命題」は証明できない!
つまり
「9条があっても戦争は防げない!」 
ということでもある。

見事なトンデモ論法なんですが、問題は「どの部分が間違っているか」です。
命題「AならばBである」に対し、「BでないならAでない」を対偶といい、元の命題と対偶命題は真偽が一致します。「2ならば偶数である」という命題の対偶は「偶数でないなら2でない」となり、元の命題「2ならば偶数である」が真なので、対偶命題「偶数でないなら2でない」もまた真になります。
さて「偶数でないなら2でない」という命題は、「どのような数字であろうと、それが偶数でないならば、それは2ではありえない」ということを述べているに過ぎず、それ以外のことは一切述べていません。たとえば「2以外にも偶数は存在するのか?」ということは「偶数でないなら2でない」という命題の範囲外の話です。「2でないにもかかわらず偶数である」という数字があったとしても「偶数でないなら2でない」という命題が偽になるわけではありません。実際、4という数字は2でないにもかかわらず偶数ですが、だからといってそれが「偶数でないなら2でない」という命題の反例になるわけではないのです。
それを踏まえて柳生さんの主張を検討します。「9条があれば平和になる」の対偶は「平和でないなら9条がない」です。そして柳生さんは「9条がないにもかかわらず平和である」という状態を持ち出して「平和でないなら9条がない」が偽だと主張しています。しかしこれは誤りです。「平和でないなら9条がない」という命題は「平和でないという状態であればそこには9条がない」ということを述べているに過ぎず、「9条がない状態で平和がありえるか?」ということは一切述べていないからです。「2でないにもかかわらず偶数である」という数字があったとしても「偶数でないなら2でない」という命題が偽になるわけではないのと同様、「9条がないにもかかわらず平和である」という状態があったとしても「平和でないなら9条がない」が偽であることにはなりません。
で、私の結論としては、柳生さんの主張について「対偶命題の取り方は正しいが、推論が妥当でない」となりました。
…が、NATROMさんの日記のブックマークコメントやトラックバックを見て「あれれ?」と思いました。

はてなブックマーク - 数学的に憲法9条堅持を論破する - NATROMのブログ
kojitakenさん
 コメント欄で指摘されているが、柳生氏が「対偶」としているのは実は対偶ではない
Rattyさん
 そうそう、対偶が正しく取れないんですよねトンデモさんは。ABOFANさんもそうだったなー
ocsさん
 そもそも元記事の対偶の取り方が間違っている件

「数学的に憲法9条堅持を論破する」って言うのなら、せめてこれくらいはやってほしい - MarriageTheorem 別室
数学的に憲法9条堅持を論破する - NATROMの日記という記事で紹介されている(というかネタにされている)のを見たのですが、「偽善9条教を数学的に論破する!」なんて文章があったんですね。
実際は、「数学的に」と言いつつ数学じゃなくて論理学しか使っていないうえに、しかも間違っている(命題の対偶の取り方が間違っている)という二重に困った文章だったわけですが。

えーっ!
対偶の取り方は合ってるでしょ、これ。「9条があれば平和になる」の対偶なら「平和でないなら9条がない」で正しくね?
などと考えていたら、同じくNATROMさんの日記のコメント欄に以下の発言が。

野暮さんのコメント
 (命題) 9条がある ⇒ 平和
 (逆) 平和 ⇒ 9条がある
 (裏) 9条が無い ⇒ 平和でない
 (対偶) 平和でない ⇒ 9条が無い
 対偶を日本語で言うと「平和でなければ9条はない」であって、
 「平和でないのは9条が無いから」は裏。

確かに柳生さんは「平和でないのは9条が無いからだ」と書いています。その文章の意味について野暮さんは、対偶「平和でないなら9条がない」の意味ではなく、裏「9条がないなら平和でない」という意味になっていると指摘しています。
…ちょっと考え込んでしまいました。
確かに、日本語の文章として「平和でないなら9条がない」と「平和でないのは9条が無いからだ」では微妙に違います。違うんですけれど、「平和でないのは9条が無いからだ」という文章を「平和でないなら9条がない」「9条がないなら平和でない」の、どっちに近いかと問えば、私的には前者に近いと思います。もし後者の意味になるとすれば、「平和でないのは9条が無いからだ」という文章は「9条がないにもかかわらず平和であることはありえない」という意味になるということですが、果たしてそうなんでしょうか。
私は疑問ありまくりなんですが、他の方の意見をみてみると、そうでない、すなわち『「平和でないのは9条が無いからだ」という文章は「9条がないにもかかわらず平和であることはありえない」という意味だ』と解釈する人が多いようです。さらに、大本の柳生さん自身がそういう解釈をしていそうです。その場合、「9条がないにもかかわらず平和である」状態というのは「9条がないにもかかわらず平和であることはありえない」という命題の反例になりますから、となると、柳生さんの間違いは「推論は妥当だが対偶の取り方が間違っている」ということになります。
で、結論。
日本語って難しい。