その後のエントリー

以前紹介したいろいろなブログで、光市事件判決をどのように取り上げているか見てみました。まったく触れていないブログが多かったり、南雲研究室が速報しか載せていなかったりと、意見が聞けずに残念なところもありましたが、「ちゃんちゃんのたわごと」「うまかった倶楽部」「日々の怒り日記・・・・」が新たなエントリーを立ち上げていました。

「ちゃんちゃんのたわごと」はかなり興味深い内容だったので別エントリーに回すとして、残りのブログは今回の判決をどのように取り扱っているでしょうか。
「うまかった倶楽部」はたいした触れ方はしていないのですが、まず気になったのはエントリータイトルの「9年目の春」。なんだか「祝・死刑判決」という表現と同じニオイを感じるんですが、その通りなのでしょうか。内容はというと、中傷誹謗していた弁護団についてはきれいにスルーされています。

この件に関して書かれたブログや書籍を読むうちに、知識不足により理解できていなかった面や、様々な考え方に触れることができ、前回エントリアップした段階よりは、冷静に、かつ、正しい向きから事象を捉えるようにはなっている。
しかし、だからといって、視線の方向性や距離は変わっても、根底部分に変わるものは何もないというのも、また正直なところ。
(引用者注:強調部分は原文では赤字)

「冷静に、かつ、正しい向きから事象を捉えるようにはなっている」といいつつ、他のブログでではありますが、弁護団を誹謗中傷していた件についてはスルーしています。「根底部分に変わるものは何もない」とある「根底部分」が「俺は思い込みで他人を誹謗中傷しても許される人間なんだ!」ということなら矛盾はないですが。

死刑判決が出たいま、わたしの心中にある思いが正しいのかどうかはわからない。
ただ物事の正否なぞ、「視点の相違により〜」のごとく、どうとも解釈できるのだから、間違いないひとつの考えだと判断している。

「物事の正否なぞ〜どうとも解釈できる」といいつつ、弁護団を誹謗中傷していたのは誰でしょうか。自分の見解は、たとえ自分勝手な思い込みに基づく誹謗中傷を含もうとも「間違いないひとつの考え」だと判断し、他人の「刑事弁護人の職責に基づく正当な弁護」には誹謗中傷。世間ではこういう態度をダブスタといいます。

被害者の元少年へ。
届かぬメッセージだろうけど。
いまこそ、ドラえもんの出番だ。
もし刑が執行されるときには、首にリボンでも結んであげててね。
再生を要望するならば、死後に姦淫してもらえる手続きを依頼しておくべき。

一言だけ。こんなことを書ける人の人間性を疑います。


「日々の怒り日記・・・・」の方は、弁護団についてもきちんと触れられています。というか、まったく態度が変わっていません。自分が言及していることに対して、勉強する気はないんでしょうね。この人、判決公判前日にもエントリーを立ち上げています。

懲戒請求を起こした事で・・余計にこの事件に関して
知りたくない腹立たしい弁護士の主張を知る事になった・・・
『弁護士として品格に欠ける裁判での弁論に絶望すら感じた・・』
そう書き記した・・・・
返って来た文面には・・
『弁護士の品格を欠くような行為および弁論はしていない・・』
との回答だった・・・
あの裁判の弁護士の弁論が荒唐無稽でなく詭弁でなく何であろうと言うのか??

この人、実際に弁護団懲戒請求していて、決定書を受け取っているはずなんですが中身を読んでないのでしょうか。さらに、橋下弁護士を支持していて「まともな事を言う」と評価しているんですが(ブログ内検索結果)、当の橋下弁護士本人が「自分が弁護人でも弁護団と同じ主張をしている」と言っていることをどう考えているんでしょうか。何も考えずに自分の思い込みで批判しているとしか思えません。
で、判決当日のエントリーで以下の文章が。

テレビの中でも今まで何も言えなかった弁護士達が合わせたように
『荒唐無稽な弁護が逆に被告を重罪に変えた・・』
『荒唐無稽な・・』
『荒唐無稽な・・・』
何度もテレビの中で飛び交う言葉・・・・
そうなのだ・・・弁護士が弁護士を裁く懲戒請求・・その矛盾を感じながら
何も言えなかった弁護士が皆口々に自発的に荒唐無稽な弁論を認めたのだ・・

弱気を助け強気を挫く・・・・それが本来司法のあり方だと思う・・
司法の判例などと・・十羽一絡げの判決を平気で行い国民感情を逆撫でした
悪徳弁護団・・

懲りもせず上告を行った弁護団にはホトホト往生際の悪さを感じます・・・

荒唐無稽なのは・・・・犯人だけではない・・・
悪徳死刑廃止論者の弁護団・・彼らも同じく荒唐無稽な人間なのだ・・・

なんだか、引用しているだけで悲しくなってきました。人間はここまで愚かになれるのかと。
私自身、今回の判決は妥当なものだと思いますし、被告人に同情する気はないですが、それを文章にするのが恥ずかしくなってきました。