正論ではあるんだけど…

光市母子殺害事件の差し戻し審で、被告人の新供述が不合理・不自然と判断され、厳しい判決を受けることになったんですが、それに対して以下の意見があります。

セレモニーとしての刑事裁判 - 諸悪莫作
事実認定を争うことをもって「反省謝罪の態度とは程遠い」と見做されるならば、刑事裁判の被告となった当事者は、いかにして抗弁すれば良いというのだろうか? 刑事裁判が、検察側主張の追認が前提、被告はそれに対して情状酌量を求めることしか許されない、といった場であるならば、それはもはや、形骸化したセレモニーに過ぎない。それは茶番である、としか言いようがない。

その通りなんですけど、今回の差し戻し審の判決要旨を読む限り、被告人の新供述の信用性についてはかなり細かく検討されています。他の証拠との整合性から判断して信用性を否定したわけですし、その判断は妥当だと思います。そうなると「反省謝罪の態度とは程遠い」と評価されるのはやむを得ないと思いますし、そのような評価が不利な方向に働くのもまたやむを得ないと思います。
で、この“法廷戦術”に関する安田弁護士のコメントが以下。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/139717/
 《この事件が注目される一端ともなったのが被告の新供述。この“法廷戦略”の是非を問われると、安田弁護士は厳しい口調に》
 −−1審と控訴審無期懲役になっていたことを考えると、被告の利益を考えてあえて新供述を出さずに、今までの供述を変えない法廷戦略もあったのでは
 安田弁護士「それは弁護士の職責としてあり得ない。真実を明らかにすることで初めて被告の本当の反省と贖罪(しょくざい)が生み出されると思う。そうすることでようやくこの事件の真相が明らかになる。なぜこの事件が起こったのか。どうすればこういった不幸なことを避けることができるのか。そしてどうすれば被害者の許しを請うことができるのか。戦術的に物事をとめるとか不当に終わらせることは決してやってはいけないことだ」

まったくもって正論です。弁護人としての正論であると思います。今回の場合は差し戻した最高裁の判断が判断だけに、土下座弁護に徹しても死刑を回避することは難しかったでしょうし。ただ、私としてはつい以下のようなことを考えてしまいます。
誰でもいいですが、たとえば今この文章を読んでいるあなたが、無実の罪で逮捕勾留され、起訴されたとします。無実の罪ですから否認するのが正しい姿勢と思えます。しかし、無罪を主張して争っても勝ち目は五分五分で、有罪となればまず実刑判決となる状況で、しかも、いわゆる人質司法というやつで否認している限り勾留され続ける状況です。一方、自分がやったことにしてしまって土下座弁護に徹すれば、有罪となるとはいえ執行猶予がつくことはほぼ確実で、身柄もすぐに解かれる状況だとします。
このような状況では、やってもいない罪を認めてしまって土下座弁護に徹することを選択する人がいてもおかしいとは思いませんし、被告人がそれを望むなら弁護人はその意向に沿うべきです。また、そのような状況であることを被告人が知らないのなら、弁護人はそのことについてアドバイスすべきだと思います。
それを考えると、安田弁護士の正論は、それを捨てざるを得ない時もあるのではないでしょうか。