トンデモに嵌らないために

トンデモさんの特徴

  • 彼は自分を天才と考える。
  • 彼は自分のなかまたちを、例外なしに無学な愚か者みなす。彼以外の人はすべてピント外れである。自分の敵をまぬけ、不正直、あるいは他のいやしい動機をもっていると非難し、侮辱する。もし敵が彼を無視するなら、それは彼の議論に反論できないからだと思う。
  • 彼は自分が不当に迫害され、差別待遇を受けていると信じる。公認の学会は彼に講演させることを拒む。雑誌は彼の論文を拒否し、彼の本を無視するか、「敵」にわたしてひどい書評を書かせる。ほんとに卑劣なやり方である。こういう反対の原因が、彼の仕事がまちがっていることにあるとは、奇人には全く思い浮かばない。
  • 彼は最も偉大な科学者や最も確立された理論に攻撃を集中する強い衝動をもっている。ニュートンが物理学でずばぬけた名声を保っていたときは、物理学での奇人の仕事は猛烈に反ニュートン的だった。今日ではアインシュタインが権威の最高シンボルとなっているため、奇人の物理理論はニュートンの肩をもってアインシュタインを攻撃するものが多い。

「奇妙な論理」マーチン・ガードナー(社会思想社

マーチン・ガードナー著「奇妙な論理」は疑似科学についての問題点について書かれた古典的名著であるが、古典的といいつつその問題点は現代でも通用する。ガードナーが取り上げている疑似科学は、相ま系を始めとしてすべて自然科学系であるが、社会科学系、たとえば刑ま系にもその特徴は通用する。これは「トンデモさんにこのような特徴がある」のではなく「このような特徴がなければトンデモに嵌れない」ということなのであろう。
「彼は自分を天才と考える」「自分の敵をまぬけ、不正直、あるいは他のいやしい動機をもっていると非難し、侮辱する」というあたりは刑ま系トンデモさんの主張にピタリあてはまる。現状がおかしいと思うのなら、なぜそのような(自分がおかしいと考える)制度が採用されているのか調べてみるのが普通の人のやり方であるが、トンデモさんはそんな普通のやり方は採用しない。専門家の意見が間違っており、自分が専門家を超越する才能の持ち主であると無邪気に信じ込む。もちろん専門家の意見が常に正しいとは限らないし、現状が完璧であるわけはない。完璧なものが何かすでにわかってるのなら、そのようなものは学問として成立しないだろう。しかし、現状が完璧でないからといって、トンデモさんの意見が正しくなるわけではない。
さらにトンデモさんの特徴として、「批判されるのを嫌う」ということがある。真面目に勉強しようと思っている人は、批判されることを嫌がらない。むしろ、お金を払ってでも批判してほしいと考えている。どのような分野においてもそうであるが、自説に対する正当な評価を知ることは重要である。批判に耐えられない、賛同意見しか受け付けたくない人は学問をする素養がない。幸いなことに、ブログ上での意見発表ではそれを判断する簡単な方法がある。アクセス数が膨大でスパムコメント・スパムトラックバックが膨大に送り付けられるようなブログでもないのに、コメントやトラックバックを承認制にしている、気に入らないコメントやトラックバックを削除する、あるいは受け付けないブログがあったら、そのブログの管理人はトンデモさんの素養があると判断してよいだろう。もちろん彼らはそれらを荒らし・スパムと判断してそうするのであるが、自分にそれを判断する能力がないことには思いが至らない。「こういう反対の原因が、彼の仕事がまちがっていることにあるとは、奇人には全く思い浮かばない」というガードナーの言葉は、まことに正鵠を射ている。
これらはトンデモさん一般の特徴であるが、他の分野のトンデモさんにない、刑ま系トンデモさんに特有の特徴がある。それは、論理的でないことをなんら欠点であると、恥ずかしいと思っていないことだ。論理的でないこと自体はトンデモさん一般にみられる特徴である。というか、通常の論理的思考能力を有していればトンデモに嵌らないのだから当たり前だろう。しかし自然科学系のトンデモさんは「論理的でない」ことが欠点であることだけは知っている。ところが刑ま系のトンデモさんは「論理的でない」ことを欠点だと思っていない。むしろ「論理的である」ことを欠点だと思っている可能性すらある。自らの主張の非論理性を指摘されてもどこ吹く風である。「理屈じゃない」を繰り返し、自分が「理屈では勝てない」ことを誇らしげに示す。自然科学に限らず、法律学だって「論理的でない」ことは致命的なのだが、刑ま系トンデモさんにとっては、そんなことは「知らないし、知ったこっちゃない」である。その意味で、自然科学系のトンデモさんに比べ、刑ま系トンデモさんの方がより恥知らずである。

トンデモに嵌らないためにすべきことは多くない。
正当な判断をするためには多くの知識が必要であることを知り、多くの専門家はあなたより多くの知識を有していることを知り、そして少ない知識で非論理的思考を用いて間違った結論を導き出し、それを垂れ流すことは恥ずかしいことだ、ということを知ることである。