自分を過大評価する人

いわゆるトンデモさんについて書かれた面白いブログをみつけた。

皆最初は素人で、調べ方も、調べた情報をどうすればいいのかも分からないものなのは当然だと思います。ですが、一部の人はなぜかそこから一足飛びで自分の知らない分野について断定をかましたりする。何事かを否定したり、断定したりするためには相当程度の説得力ある根拠が必要になるわけで、対象が専門的議論(多量の蓄積が存在する)であったりする場合、素人(肩書きの有無ではなくどれだけその蓄積を把握しているか)がそれを覆すのは非常に困難です。なぜなら、それは何が根拠となり、どういう論理でその理屈が成立しているかを把握できていないということだからです。

知らないことについて素直に「知らない」という人はトンデモに嵌らないので、「一足飛びで自分の知らない分野について断定をかましたりする」というのはトンデモさんにとっては当たり前のことだが、刑ま系の場合、断定をかますだけでは飽き足らず、他人を誹謗中傷し罵倒をかましたりする。これがきちんとした根拠に基づく批判なら少々荒っぽい表現でも構わない部分もあろうが、トンデモさん故の根拠のない、自分の思い込みに基づくたわごとだから、ただの暴言にしかなっていない。たとえば以前も当ブログで取り上げた御三家の一人、ちゃんちゃんさんのブログ。

この被告の担当弁護士は、「騒がれたら困るので、黙らそうとしたら結果として死に至らしめただけで有り、傷害致死であり、殺人では無い。」なんて言ってました。 あなた本気で言ってますか? ならば真剣にアホですね。 死刑廃止論者かなんか知りませんが、御願いだから死んでくれ・・・

 対して、弁護団は一体なんなのでしょうか? 今回は21人もの大弁護団を編成して審議に臨んだ様ですが、その大弁護団を見て本村さんがどう思うかとか、全く考えていませんね。 遺族心理を汲み過ぎてもいけませんが、配慮は有って良いと思います。 どうせみんな死刑廃止論者なんでしょうが、本当に死刑に値しない人間なので有れば仕方無いですが、この大変目立つ裁判を利用して、死刑の是非を取り上げ、自分達の死刑廃止論を正しいものとしたいだけでしょう。 そんな輩に利用されたあげく、遺族の感情を踏みにじられたのでは、遺族は悲惨ですし、亡くなった方も浮かばれません。
 弁護側の意見では、亡くなった奥さんの首を絞めたのには殺意が無かったから傷害致死だとか、赤ちゃんの首をひもで絞めたのはリボンのかわりだったとか、もうちょっとマシな意見を言いなよ? 奥さんに乱暴するつもりは元々は無かった? じゃあ何の為に嘘をついてまで侵入しようとしたのよ? 仮に計画性が無かったからなんなの? 2人殺した挙げ句、乱暴したことは事実でしょうよ? もし無期懲役になって、恩赦かなんかでこいつが出所して、もし同様の犯罪したら責任取るのか? 死刑を廃止したいなら、はっきりそれを言えって! この事件を利用すんな!

 本村さんはなんとか我慢して聞いていたみたいですが、僕なら絶対飛びかかってますね。 本村さんは我慢したどころか、弁護団に入っている脅迫について、「自分を応援する形がそうなったのならやめてほしい」とまで言っている。まだ31歳なのに・・・ なんちゅうできた人間というか、もはや菩薩級ですよ。僕から見れば。犯人は死刑になればどうでもいいが、弁護団は見習って欲しいですよ。本当に。自分の考えを正当化するため、世間に認知させるためなら手段を選ばない情けない人間性・・・ 反省せい!!

なんといっていいかわからない暴言の数々である。これがきちんとした根拠に基づいた批判なら度の過ぎた表現も許容範囲内になる場合があるが、なんの根拠もない、本人が正論だと思い込んでるだけのたわごとなのだから救いようがない。ネットが使える分だけ、プランクトンの方がまだましだ。人としてのプライドはないのか。というか恥を知れ。
これらのエントリーやコメントは以前別のエントリーで取り上げたことがあるのだが(類は友を呼ぶか?)、その際に私はこれらに対する評価として「トンデモ」という言葉を使った。見ての通り、非常にやわらかい、オブラートに包んだ表現である。なにしろ、「御願いだから死んでくれ・・・」「死刑を廃止したいなら、はっきりそれを言えって!この事件を利用すんな!」「自分の考えを正当化するため、世間に認知させるためなら手段を選ばない情けない人間性・・・」等々、自分の思い込みに基づく誹謗中傷の嵐である。「反省せい!!」って、あんたに反省せいと言われなきゃならん人間なんて、この世のどこにもおらんがな。勝手な思い込みで「御願いだから死んでくれ」って言われたって、「お前が死んでくれ、というか死ね」と返されるのがオチだろう。というかマジで「御願いだから死んでくれ」というセリフ、鏡に向かって言ってくれないだろうか。お願いだから。
まあそのような暴言というか人間が書いたものとは思えない誹謗中傷の数々に対して「トンデモ」というオブラートに包んだやわらかい表現を使ったのは、本人は正論のつもりで書いているだろうということを考慮したからである。こんなおよそ脳みそをカケラでも使って書いたものとは思えない暴言を吐く人間に配慮する必要があるのかと突っ込まれそうだが、それが私の性格だから仕方ない。普通の人なら、こんな万死に値する暴言に対して「トンデモ」というやわらかい表現を使ってもらえたら感謝しそうなものだが、さすがは刑ま系トンデモ御三家の一人ちゃんちゃんさん、まともな判断能力は持ち合わせていない。以下はその「トンデモ」という評価に対する本人の見解。

仮に僕のブログが間違っている事を書いていても、それを「トンデモエントリ」と表現してみたり、僕のブログのコメンテーターを「ブログ主以下」と表現してみたりするのは、内容が「適切な批判」で有ったとしても、また、それが誰かを明記していても(嫌、しているならなおさら)、行儀が良いと呼べるような代物では無いと思いますよ。 その点はあなたも注意されるべきだと思います。

おいおい、「お前の頭には何が詰まってるんだ?犬のクソでも詰め込んでるんじゃないか?少しは勉強しろ、それができなきゃ死んでこい」と罵倒されても仕方のないような誹謗中傷の羅列を「トンデモ」というやわらかい言葉で表現してもらったことに対する見解がこれか。こんなことなら素直に「馬鹿エントリー」と書いておけばよかった。というか、今度からそうしよう。ただ一つ、老婆心から忠告しておくが、他人の行儀を云々できるだけの良識が自分にあるという根拠のない思い込みはやめた方がいい。

「よく知らない問題について鋭い指摘ができるほど自分は頭が良いと思いこんでいる困った人」問題とも言えます。というか、専門家も間違うことがある、ということと、「あなた」が正しいということとは無関係です。
ザ・ニセ科学
そういう人には相ま系(相対性理論は間違っている系)タグがオススメ!

まったくだが、刑ま系タグもおすすめしておく。