刑事裁判の目的

刑事裁判というのは被害者の復讐を目的としているわけではないのだが、そう思っていない人もいて、裁判員制度においてどのような影響があるか気になるところである。以前にも書いたが、刑事裁判の目的というのは大きくは以下の3点である。

  • 実体的真実の発見
  • 適正手続の保証
  • 刑罰法令の適正迅速な適用実現

見ての通り、被害者関連については刑事裁判の目的になっていないが、これは別に日本の社会制度が「被害者のことなどどうでもいい」と考えているからではない。犯罪が発生すれば、それに伴いさまざまな解決しなければならない問題が発生する。被害者に対して、加害者にいかに責任を取らせるかという問題、被害者を社会としていかに処遇するかの問題、加害者を社会としていかに処遇するかの問題などである。これらは、たとえば被害者加害者間の問題であるなら形式的真実に基づく対応をすべきであるのに対し、社会の処遇の問題では実体的真実に基づく対応をする必要がある等、前提を異にしている問題である。そのため、適切に問題点を切り分け各々に適した手続を用意することが好ましい。
刑事裁判というのは、この中で「犯罪の嫌疑がかけられた人に対する社会の処遇について切り出したシステム」である。「被害者が加害者に復讐するためのシステム」ではない。被害者に対して加害者に責任を取らせるためのシステムは、刑事裁判とは別に存在する。比喩的な表現になるが、「加害者の処遇に対して被害者の絡む部分を切り外した(加害者対国家の部分だけを取り出した)手続に刑事裁判と名付けた」と言っても大筋では外していない。
刑事手続も一つのツールに過ぎないから、他の目的、たとえば被害者救済で利用できるなら利用してもよい(*1)。してもよいが、そのために本来の目的を達成できなくなるようでは本末転倒である。特に刑事裁判のように「市民対国家権力」という構成の手続に瑕疵が存在することは大きな問題である。被害者加害者間の問題を解決するための手続に不備があるのなら、それはその手続を改良することによって解決することであるし、被害者に対する社会的救済の手続に不備があるのなら、それはその手続を改良することによって解決することである。
以上のことを考えると、刑事裁判において被害者が直接の当事者でないのは刑事裁判の問題ではないことがわかる。犯罪行為そのものについては被害者はおおきなおおきな当事者であるが、刑事裁判というのは被害者が当事者となる部分とそうでない部分を切り分け、後者の一部を取り出したものだからだ。もし一見、刑事裁判において被害者が当事者でないことでなにか問題が生じていると思えるならば、それは刑事裁判の問題ではなく、被害者が当事者となる手続(刑事裁判以外の手続)において解消すべき問題である。


刑事裁判というのは以上のものであるから、刑事裁判において「被告人の権利だけが注目されている」というのはある意味当然のことである。刑事裁判は「市民対国家権力」という構図である。国家には人権がないので、市民である被告人の人権についてだけ論じれば足りる。そして通常、国家と市民ではその持っている力に大きな差があるから、刑事裁判においては被告人の人権が不当に侵害されないように注意する必要があるのである(もっとも、この「被告人の人権が不当に侵害されないように注意する」というのは「犯罪の嫌疑をかけられた人に対してはなにをしてもいい」と考える一部の人には不評であるが)。
しかし残念なことに、そういったことを理解していない(何か勘違いしている)人は世の中に少なくないようである。

今の制度では、加害者には国選弁護士がつくけど、被害者は自腹で加害者と戦わなければいけません。犯罪被害者の支援を手厚くしてほしい。

犯罪被害者を支援する弁護人を公費で用意するという考えは悪くないと思うが(犯罪被害者への支援が充実していないのは事実であろう)、この人はそういう意味ではなくちょっと何か勘違いしている気がする。「被害者加害者間の問題を解決するための手続」でも弁護士が出てくる場合があるが、その場合加害者側に国選で弁護人がつくということはない。刑事事件で必要的弁護事件に国選の弁護人がつくのは被告人の相手が被害者ではなく国家権力だからである。それともこの人は、(いわば被害者の立場を代弁する)国家権力の側に、弁護士と同等の法曹資格を持った法律の専門家をつけろとでも言うのだろうか。で、それなんて検察官?


(*1)…たとえば犯罪被害者保護法とか、刑事裁判への参加(刑訴法改正)とか色々。これらについて問題がないとは言わないが、日本において、これらの取り組みが遅れていたことは事実である。