刑ま系の人々

かの有名な数学者ユークリッドは、エジプト王プトレマイオスから「簡単に幾何学を学べる方法はないのか」と問われて、次のように答えたといわれている。「幾何学に王道なし」。現在では、この言葉は幾何学に限らずすべての学問に対していえる言葉であるととらえられ、「学問に王道なし」という言葉として定着している。
相ま系(「相対論は間違っている」系)や進ま系(「進化論は間違っている」系)の人たち、すなわちトンデモさんの中には、これを忘れて王道をひたすら求める人がいる。相ま系の本に『「相対論」はやはり間違っていた』という本があり、その本のどこが間違ってるかについてaxionさんという方が『「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた』で鋭く指摘しているのだが、そこに次の記述がある。

  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その1 −
【常識をもって相対論を考え直す:森野正春氏】
 この章で述べている事はただ一つ。
      『時計が遅れるというような事は常識的に有り得ない』
それだけです(^^;)。

常識だけで物理が語れるならそれにこしたことはない。それは確かである。しかしそれは人間が勝手に決めていいことではない。「常識だけで語れるということにしてしまおう」というのは人間の身勝手である。物理学に王道はない。深く学ぼうとせず近道を探して正解に辿り着けたとしたら、その人は人を超えた存在であるとしか言いようがない。


そして、それはすべての学問においても同様である。法学もまたしかり。以下は当ブログの去年の11月10日のエントリーのPcha00さんのコメントであるが、

法律に精通していないような人にも言論の自由があるからで、ご大層な文献を皆に強要するのは知識人の暴力と言っても良いでしょう。
なお義務教育の教科書には、簡単には書いてあっても不足があるとは思いませんがね。もしあるのなら、私などよりお国に訴えた方が有益です。

「思いませんがね」と言うだけですめば簡単だが、それは人間が勝手に決めていいことではない。憲法学が義務教育の知識だけで語れるものではないことは人間が決めたことではないのだから、それを知識人の暴力というのは失当であるし、国に文句をいってもどうにもならない。
そしてそれがもっとも強くみられるのが、刑事司法に対するトンデモ言論である。

それにしても、みなさんはこの裁判を見ていて日本の司法制度をどのように感じられただろうか。
私は、昨年の3月に最高裁への上告審で弁論が開かれるという時点からこの事件を記事にしている。
そして、この記事で31件目となるのだが、複雑怪奇というか司法は人のためにあるものではないという思いを強くさせられることが続いた。

著者の言う「思い」とやらが、刑事司法について学ばないまま(おそらくマスコミ情報を元に)垂れ流されているのは、各エントリーの用語の不適切さを見ても明らかである(マスコミの使う不適切な用語がそのまま使われている)。なにしろ著者は「推定無罪の原則」という基本すら知らなかったぐらいだ。
確かに、マスコミ情報と自分の感情だけで刑事司法が語れるなら、それにこしたことはない。しかしそれは、他の学問と同様、人間が勝手に決められることではない。何も調べずに語ろうとするのは無謀以外の何物でもないだろう。
「学問に王道なし」−もちろん、刑事法学にも。