受け手の便宜とリンク行為

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

上記は表現の自由または言論の自由を保障した条文である。憲法は公法であり、専ら国家機関を規律するものであるから、上述の規定は「情報の流通にかかわる国民の諸活動が公権力により妨げられない」ということを意味する(佐藤p515)。これは明治憲法下での言論統制からの解放を目指すものとして確立されたものである。

表現の自由は、「個人の人格の形成と展開(個人的価値、自己実現の価値)」、「立憲民主主義の維持運営(社会的価値、自己統治の価値)」に不可欠な権利として保障される。さらに合衆国の憲法学者エスマンは「真理を獲得する手段」「社会における安定と変化との間の均衡の維持」を表現の自由の機能としてあげており、これは前記憲法原理を支える信条の体系といえるだろう(佐藤p514、芦部p160)。各人が自由に主張及び反論を行い、各々の妥当性が追及できることは表現の自由の持つ大きな価値のひとつである。

  • 主張と反論の重要性

ミルは自由論の第2章において、思想及び討論の自由について詳細に検討し、反論の重要性についていくつか説いている(井口p50-51)。各人が自己の意思を自由に交換できることは表現の自由を価値あるものとする上で必須のものであり、言論行為において常に念頭におかねばならぬ心構えである。

  • 自由な言論の場

自由な言論の場において、表現の自由に資するためには、自己の意思及びその正当性を受け手に伝えることが必須である。受け手のことを考えない手前勝手な言論は、それだけで批判を受けざるを得ない。すなわち言論行為とは、常に受け手の便宜を心がけて行われるべきものである。

リンクは出典を明らかにするとともに読者に簡単にアクセスするための便宜をはかるためにするもので、言論をなす者に課せられた義務であり、当然のマナーです。

特定の種類の読者に便宜をはかるのは勝手だけど、「当然のマナー」ではない。

「特定の種類の読者」が何を指すのか不明だが、読者の便宜をはかることは表現の自由に資する行為であり、言論行為においての当然持つべき心構えである。

また、義務であってはたまらない。
リンクするのが嫌な人は言論の自由がないのか。そんなデタラメな義務を持ち出すのは言論弾圧の一種と言えなくもない。

私の考えは「出所を明示するのは言論行為においては当然すべきこと(出所の明示は必ずしもリンクにはこだわらない)、ハイパーテキスト形式のファイルではリンクを用いるのが読者の便宜上よい。但し、読者の便宜を考えない文書をWebに公開するのは自由である。便宜をはかるのは義務でも何でもない。」というもの。

「読者の便宜をはからなかったからといって公権力の介入を受けてはならない」という意味では義務であるわけはない。言論の自由というのは、公権力を規律するものであるからだ。しかし「読者の便宜をはかるべし」という要請は言論の自由に資するためになされているものであり、それがなされていない言論は、それだけで批判の対象となるだろう。


  • 参考文献

  憲法/佐藤幸治(青林書院)
  憲法/芦部信喜(岩波書店)
  憲法II[人権]/井口文男(有信堂)