人権派って?

光市事件弁護団への不適切な批判にあたって、よく使われる言葉が「人権派」というやつである。

考えてみれば、弁護団は「死刑へ、死刑へ」と流れを導いているように思えてならない。
高裁に「死刑判決」を出させ、「国民の“死刑”へという大合唱によって被告の権利が侵害され正当な裁判が受けられなかった」として最高裁へと持ち込む算段なのだろう。
そして最高裁に自判させて、ここぞとばかりに「ありえもしない判決だ。これらの証拠を審査したのか」と裁判の不当を訴えるのだろう。
こうまでしたいのが「人権派」なのだ。
このままでは「真の人権国家」には絶対なることはできない。

よくもまあここまで戯言を垂れ流せるものだが、この「人権派」という言葉を使い、不適切な批判を行う人は、よく「被害者の人権が軽視されている」と主張する。

この件については、今までの経緯から非常に不愉快であることばかりで、人権派とテレビで呼ばれる方の1人(安田氏)が弁護されていたが、はっきり言って被害者の人権はどこ言った!!と思います。
(中略)
現在、弁護団21人が意味不明な弁護をしているようですし、この点においては全く改善されておりません。
この弁護団は、死刑廃止論者の方が筆頭であるのは、別に良いのですが、この件を利用して廃止しようと模索すること、並びに弁護する発言があまりにも常識に反していることが、見ていて非常に不愉快ですし、弁護士除名措置は取れないものかとも思います。

「被害者の人権は何処へいった」と言われてもねえ…
当たり前のことであるが、被疑者/被告人の人権を蔑ろにすることが被害者の人権を尊重することになるわけではないし、被疑者/被告人の人権を尊重したからといって被害者の人権を蔑ろにしたことにはならない。被疑者/被告人の人権が尊重されるといっても、別に被疑者/被告人が特別扱いされているわけではない。単に、被疑者/被告人だからといって人権を不当に侵害してはならないと決めているだけだ。刑事裁判において、有罪の確定があるまでは、どんな被疑者/被告人であろうと無罪の推定を受ける。そのため、刑事手続においては被疑者/被告人の人権が不当に侵害されることがないように配慮されている。その配慮が、被害者の人権を侵害することがあるというのだろうか。
もちろん、被害者というのはすでに何らかの被害を受けている人であるし、その保護をどのように行っていくかは重要な課題である。しかし、それは被疑者/被告人の人権を蔑ろにすることによって達成されるものであってはならないだろう。