くっぱさんの非謎・追記

コメント欄ではタグも使えないしある程度の文章を書くのに向いていないのでエントリーにしました。

  • 匿名希望さん

ぉお!期待してまつ^^。

現在、くっぱさんの主張は主なものしか書いていませんが、他にもいろいろあるので随時補足していくつもりです。いかんせん量が多い^^;。いつ終わることやら。

  • lastlineさん

お疲れ様です。ちなみに、僕はまだ続けてます(笑)

凄い…というか、パワーがある^^;。
SBM経由でくっぱさんがまだ何か書いていることは把握していたんですが、正直、WWWとは何の関係もない単なる常識の話になった時点で終わったと思っています。備忘録にそもそもの始まりから遡ってまとめたのを見れば明らかですが、くっぱさんの主張はもはやリンク禁止がどうのこうのとは関係のない話になっているんですね。
今回のちゃんちゃんさん及びその支持者の主張を読んでもらえればわかるように、彼らは「他人の何ら問題のない行為をさも不当な行為だと論ってもかまわないんだ」とか「我侭だとはわかっているがそれでも他人に命じていいんだ」なんてことは主張していないんです。単に、無断でリンクすることがマナー違反だとかあんな形で取り上げられることは誰だって嫌だろうとかの勘違いをしていただけなんですね。つまり、彼らは良識はあったけど知識や常識がなかっただけ。良識すらないくっぱさんとは明らかに違います(ちゃんちゃんさんはその後きちんと他人に胸を張れる行動をとっているのに対し、くっぱさんは…というのを考えれば明らか)。

実際、「無断でリンクされるのは嫌だ」という感情を持つことは自由だし、「リンクされたくない」と主張することは自由なんだから、勝手にすればいいんですよ。実際にリンクされたときに他人に文句言ったりさえしなければ。だから、ちゃんちゃんさんのブログでなれさたユージさんの以下のコメントはある意味では正しいんです。

まあネチケットとか常識とか価値観とかは人それぞれで、他者に押し付けるべきではないというのは確かに正論だと思います。
ですが、それはあくまでも他者を巻き込まない範囲でやるべきであろうと思います、他者を巻き込む以上、巻き込む相手の価値観を尊重するのが当然の作法でしょう。

残念ながらユージさんはちょっと勘違いしておられまして、WWWに文書を置くということは世の中に言論を公開するということですから、WWWに置いた時点で他人を巻き込んでいるんです(自覚があるかどうかは別として)。だから、実際にリンクされたときはリンクした相手の価値観を尊重しておけばいいんです(先に巻き込んだのはWWWに文書を置いた自分なんだから)。それが言論行為に対する責任というものでしょう。
余談ですが、「許可のないリンクはしたくない」という人が、「他人の言論に言及しておきながら出所を明示しない」のはある意味自由なんですが、その自由を行使することによって他人からどんな評価を受けるかは考えておいてもいいと思います。出所を明示せず(たとえば)他者の言論を批判する行為は、読者がその妥当性を判断することができないので、言論を行う者としての資質に欠けると評価されても仕方のない行為でしょう。引用の際には出所を明示することが義務付けられていますが、その立法趣旨を考えれば明らかだと思います。

追記:Pcha00さんからのトラックバック

Pcha00さんからトラックバックを頂いた。

文章を書くだけなのとリンクまでするのとでは影響が違い過ぎ。
その文章にもよるが、リンクされた文章に比べればリンクされていない文章は他人を巻き込んでいないに等しい。

URIをまったく開示しないならともかく、「違い過ぎ」という程の差?

だから、実際にリンクされたときはリンクした相手の価値観を尊重しておけばいいんです(先に巻き込んだのはWWWに文書を置いた自分なんだから)。それが言論行為に対する責任というものでしょう。

そんな責任はない。

「俺は言論の自由を行使するが、他人が俺の言論に対して反論の自由を行使するのは制限つきだ」というのは無責任でしょう。

無断リンク禁止と言われたら黙って従えばいい」を逆にしただけに等しい理屈。

無断リンク禁止と言われたら黙って従えばいい」と「無断リンクされたら黙って従えばいい」は等価じゃないからねえ。

相手の価値観を尊重しようが、徹底的に否定しようが自由。
でなきゃリンク云々以前に、言論の自由は保障されない。

相手の反論の自由の制限を命じる時点で、言論の自由を考えてなどいないのでは。

このトラックバックを読んで思い直したのが、地下に眠るMさんの以下のコメント。

そもそも(w)、「リンクがいやだ」とかいう戯れ言って、「引用がいやだ」と同じことなんでにゃーの?
wwwって、言論のためのツールとしてとてもよく考えられているわけですよにゃ。wwwの思想っていうのは、いわば言論の自由の思想の具現化にあるのではにゃーだろうか。
リンクダメってのは、言論の自由の否定ってことになるのだから認めようのにゃー我が侭だにゃ。

さすが、言い得ているよなあ。

追々記:
公に言論行為を行った場合、その言論に対して他人から言及されることは当然にあるわけです。「俺は言いっ放ししたいんだよ」という人は、言論行為に対する責任感が欠如していると言わざるを得ません(*1)。言及する側が、言及先の文書を示すにあたって、ハイパーリンクという表現をとるのは自由です。その禁止を命じるというのは、相手の表現の自由に対する干渉です。

私の考えは「出所を明示するのは言論行為においては当然すべきこと(出所の明示は必ずしもリンクにはこだわらない)、ハイパーテキスト形式のファイルではリンクを用いるのが読者の便宜上よい。但し、読者の便宜を考えない文書をWebに公開するのは自由である。便宜をはかるのは義務でも何でもない。」というもの。

出所開示(言及先のポインタを示す)にあたって、ハイパーリンクとURIべた書きの差はどこにあるかといいますと、読者の利便性にあるわけです。で、他人の言論に言及するにあたって、なぜ出所を開示するのでしょうか。たとえば特定の場合には出所開示が義務付けられています。その場合の出所開示しなければならない第一の理由は「読者への便宜」です。それによって言論行為の正当性を担保し、自由な言論の場の公正さを導いているわけです。
さて、「読者の便宜のために出所開示しているわけではない」という人ならともかく(*2)、そうでないなら、「読者の便宜をはかるべし」として行われていることを、わざわざ読者の便宜を損なう方法で行う意味がわかりません。

とはいえ、無断リンク問題の場合、無断リンク禁止を主張する側が嫌がっているのはリンクそのものよりもURI開示にある、ってことが多いので困りものなんですが。

(*1)…言うまでもないことですが、言論の自由とは「言いっ放しにして批判されない自由」ではありません。
(*2)…もしそうなら、それはすごいことではある。