肯定と否定

「あの犬はチャウチャウではないですか?」
「いいえ、チャウチャウではありません。」
「本当にチャウチャウではないんですか?」
「はい。違うといったら違います。」

正解は以下。

「あの犬、ちゃうちゃうちゃう?」
「ちゃう、ちゃうちゃうちゃう。」
「えー、ちゃうちゃうちゃうん?」
「ちゃう!ちゃうったらちゃう!」

さて、ここで標準語の原文と訳した大阪弁を比較すると、「はい」と「いいえ」がひっくり返っている所が一箇所ある。標準語の第二文は「いいえ」、第四文は「はい」なのに対し、大阪弁では両方とも「ちゃう=(いいえ)」であり、第四文は「そや=(はい)」にはならない。
実は、このようなパターンは他国語間だと非常に多い。「てめえ、ただのじじいじゃねえな?」という質問に対し、日本語の正しい答え方は「いいえ、私はただの越後のちりめん問屋の隠居でございます」だし英語での正しい答え方は「Yes」だ。他にも、「人間の生活に必須なものは衣服と食物ともうひとつは?」という質問に対する日本語の答えが「いーえ」なのに対しで英語での答えが「house」であるなど多数あるし、逆のパターンも「両生類以上にみられる胸腔に左右一対ある、空気呼吸を行うための器官は何?」という質問に対する日本語の答えが「はい」で英語での答えが「lung」であるなどが存在する。
考えてみれば、これは非常に不思議なことである。「肯定」と「否定」はまったく逆の意味であり、あやふやに使っていいものではない。それなのに、肯定と否定は現実にはかなり曖昧に使われている。以下は文学作品の一例であるが、

オヽ寒小寒、山から小僧が飛んで来た、と云ふ位はお安い事、今日本の軍勢が、ドンドン敵を追ひつめて行く、あの満州の奧の方と来た日には、何しろ雪や氷の本場で、寒いの寒くないの、それこそ燃えて居る火が其侭氷つて、珊瑚珠でも出来上りさうな勢です。

  • 大和玉椎/巌谷小波 少年世界1895年2月1日号(博文館)

「寒いの寒くないの」って、どっちなんだはっきりしろ
このように皆が肯定と否定を曖昧に使うから、最近では「全然+肯定」という変な文章まで登場してきたらしい(参考「ことばおじさんの気になることば」)。本来「全然」は、「全然明るくない」や「全然問題ない」など、否定を伴って使われるものである。それなのに最近では、「全然大丈夫」や「全然明るい」といった、旧来の使い方と全然違う表現がされているのだ。若い人は気にならないかもしれないが、私のような人間は「全然」を肯定の意味で使うのはものすごい違和感がある。
そういえばこの前、妻も「全然」を肯定の意味で使っていたなあ。
「僕のこと愛してる?」
「全然」