奈良事件の裁判について

奈良事件の裁判については報道レベルでしかわかっていないのであるが、思うところを書いてみたい。
報道レベルを下敷きにしているわけだから勝手な妄想と言われそうだが、日記のタイトルからすればそのような内容こそが妥当であろう。さて、今回の裁判では原告は被告医師の不法行為責任を問うていると思われる(債務不履行責任でなく)。不法行為責任の成立要件は以下の通り。

(1)行為の存在
(2)故意または過失
(3)権利侵害ないし違法性
(4)損害の発生
(5)因果関係

このうち、(1)、(3)、(4)に関しては争いようがないだろう。となると、被告医師が争える余地があるのは(2)、(5)のどちらか、あるいは両方である。ここで新聞報道を見てみると、

被告の同病院産婦人科(現・婦人科)の男性医師(60)側は、医師は早く搬送先が見つかるよう努めた▽早く転院できても助かった可能性はない――などと主張。

とある。どうやら両方を争うようである。訴状によると、原告側の主張は以下の通りである。

実香さんは昨年8月7日、出産のため大淀病院に入院。翌8日午前0時ごろ頭痛を訴えた後、突然意識を失った。産科医は頭痛と陣痛から来る失神と説明し、仮眠のため退室。同1時40分ごろ、両腕が硬直するなど脳内出血をうかがわせる症状が表れたが、来室した産科医は子癇(しかん)発作(妊婦が分娩中に起こすけいれん)と誤診して処置をせずに病室を離れ、同4時半ごろまで病室に来なかった。病院は同2時ごろまでに転送先探しを始め、実香さんは19病院で転送を断られた後、大阪府吹田市の国立循環器病センターに同6時ごろ到着。CT(コンピューター断層撮影)で右脳に大血腫が見つかった。奏太ちゃんは帝王切開で生まれたが、実香さんは8日後に死亡した。死亡診断書では同センター受診時、実香さんの意識が刺激にまったく反応しないレベルに達していたなどとする記載があり、遺族は「脳内出血の発症は午前0時ごろ」と主張。「これ以降、家族らが再三脳の異常を訴えたのに産科医はCTなどの検査をせず、手術でも回復しないほど脳内出血を進行させた」としている。

さて、原告としてはこの裁判に勝つためには、「医療ミスがあり、それがなければ患者は死ななかった。」ということを立証しなければならない。原告側の主張を整理すると、
(1)脳内出血の発症は午前0時ごろだが、産科医は頭痛と陣痛から来る失神と診断
(2)1時40分ごろ脳内出血をうかがわせる症状があったが産科医は子癇発作と診断
(3)産科医は処置をせずに病室を離れ4時半ごろまで病室に来なかった
(4)家族らが再三脳の異常を訴えたのに産科医はCTなどの検査をせず手術でも回復しないほど脳内出血を進行させた
ということらしい。さて、上記主張が言いがかりに等しいものであることは他の医師の方々が非常によくまとめて解説されているのでそちらを参照いただくとして(たとえばここ)、医療の素人である私でも疑問に思う点が一つある。大淀病院では脳内出血の処置はできない。なので患者は搬送することになる。で、実際に最初に患者を搬送しようとしたのは子癇発作と判断してすぐである(奈良医大病院:満床のため受け入れ出来ず)。その後も搬送先を必死に探したが見つからず、結局国循に搬送された。ということは、仮に1時40分の時点で脳内出血と診断がついても、結果は同じじゃないの?それとも、脳内出血という診断がつけば搬送先が見つかったというのであろうか?
一歩譲って(裁判で実際に譲る必要はないが)脳内出血と判断がつかなかったことがミスであり、即座に搬送できていれば助かったのだとしても、実際には搬送できなかったわけだし、搬送できなかったのは医師のせいではないから、ここで医師の行為と結果の因果関係が切れて、結局不法行為責任は成立しないように思える。
あと、仮に早く診断がついて搬送できていても助からなかったというのが被告医師の主張なのだが、国循の医師は「あまりに時間がたちすぎた」と原告に伝えたとされている。これを原告は「もう少し早ければ助かったということ」と解釈しているようで、仮にこの解釈が正しいとすると被告医師の「早く搬送していても助からない」という主張は誤りなのだろうか。そうだとしても実際には搬送できなかったのだから同じであるが。もしかしたら原告は「最初から国循に運べばよかったのだ」と思うかもしれないが、奈良県内の病院にことごとく断られ大阪の国循しか受け入れ先がないということを実際に断られる前に知るのは超能力者でもない限り不可能である