認知が強制される場合

久しぶりのブログ更新にもかかわらず多くのブコメやコメントを頂いてうれしい限りである。
12月6日のエントリーでmunyuuさんに「官僚と議員の区別をつけられないとは(w」と、ブコメでは珍しいトンデモコメントを頂いたり、前回のエントリーではmobanamaさんに「そのオチがいいたいだけちゃうかw」と図星をつかれたり邪推されたりと、様々な意見を下さる読者にはいくら感謝しても足りないぐらいである。
さて、そのブコメで、ちょっと気になるコメントを頂いた。12月6日のエントリーに対するgkmondさんのブコメであるが、

はてなブックマーク - 民法を知らない議員たち - 妄想日記
gkmondさん
「男の方が認知したくない場合にどうするのだ」ってその場合には国籍取れないんじゃないの?

実は国籍法に関する多くのブログやそのコメントを見て、上記のような誤解をしている人を散見していたのだが、自分のエントリーのブコメにそのような意見があるのを見落としていた。この意見、はっきり言って誤りである。
認知というのは、非嫡出子について、父または母(*1)との間に、意思表示または裁判によって親子関係を発生させる制度である。そして日本の民法では、任意に認知する場合以外にも、客観的な親子関係の存在を裁判所が認定して行なう強制認知の制度を定めている。もし父の側が「俺は絶対認知したくない」と拒否しても逃れられないのである。子、その直系卑属、またはこれらの法定代理人は、その「絶対に認知したくない」と言い張る父を相手取って、裁判所に認知を求める訴えを提起することができる。そしてこの裁判に勝訴すれば、強制的に認知させることができるのである。
ちなみにこの認知請求訴訟であるが、調停前置主義に服すので、その前の認知調停の時点で心を入れ替えて(あるいはあきらめて)認知する場合も少なくない。また、父が死亡している場合も訴訟は可能である。その場合、相手方は公益の代表としての検察官になる。
以上のように、父の方が「絶対に認知したくない」と思っていても、認知を強制させられる場合がある。従って「その場合には国籍取れない」というのは誤りである。


(*1)…実は法律の文面上だけみると、非嫡出子について、母との間に親子関係を発生させるためにも認知が必要となっている。しかし判例では、母子関係に関しては分娩の事実により当然に発生し、認知は必要ないとしている(昭和37年4月27日最高裁判決。ちなみにかつての判例では母も認知が必要であった。)。それに対して父の場合は、分娩の事実のようなものが存在しないので、認知がなければ法律上の父子関係は発生しない。