無罪の推定と有罪の立証

刑事裁判の原則に「推定無罪の原則」というのがあります。ここでいう「推定」とは「反対の証明がない限りその通りとして扱う」という意味であり、「無罪と推定する」というのは「有罪の証明がない限り無罪として扱う」という意味になります。
この「有罪の証明」ですが、刑事裁判において、立証責任は第一に検察官にあります。なので検察官は、被告人が犯罪者であることを証拠を出して主張します。もちろん一昔前の封建社会じゃありませんから、検察官が「この人は犯罪者だ」と主張しただけでは証明されたことにはなりません。被告人の言い分をきちんと聞いた上で、裁判官が判断します。その判断に不満があれば、可能ならば上訴もできます。
「被告人の言い分をきちんと聞く」というのは、単に被告人に喋らせておくというだけでなく、実質的にも「きちんと」主張させます。そういった被告人の権利がきちんと守られた上で、合理的な疑いを入れる余地がない程度に検察官が有罪を立証したと裁判官が判断すれば、有罪判決がでることになります。そして最終的に有罪判決が確定したならば、その人は有罪として扱われます。
ちょっと考えれば当たり前のことです。有罪の立証がないのに犯罪者扱いされたらたまったものではありません。こんな当たり前のことをわざわざ「原則」として謳わなければいけないということは、それだけ人間が基本的には愚かな動物だということでしょうか。
福島大野病院事件では、被告人が自らの権利を行使することによって、検察官の主張を崩すことができました。裁判官は「検察官は被告人の有罪を立証していない」と判断しました。無罪の立証までいかなくても、これでいいんです。「有罪が証明されない限りは無罪」なのですから。一昔前なら、為政側に犯罪者だと名指しされた時点で終わりだったかもしれません。
日本が民主主義国で本当によかった。