意味の移り変わり

前回のエントリーで電気屋さんからコメントを頂いた際、「流れに掉さす」という言葉の意味についてちょっと触れました。元々の意味は「傾向に乗り事柄の勢いを増す行為をすること」なんですが、現在では「流れを乱す・止める行為をすること」の意味に使われることが多いようです。理由は想像するしかありませんが、「水を差す」という言葉が「傾向に逆らい、流れを止める」という意味合いで使われるため、そこからの流れで転じたのではないかと思います。
このように現在では本来の意味とは異なった意味で使われることが多い言葉に「情けは人のためならず」というのがあります。本来の意味は「人に情けをかけることは、その人のためではなく、巡り巡って自分のためである」です。人に情けをかけることは決して他人だけを益することではありません。巡り巡って自分に、必ずよい報いがあります。しかし現在では、これを「情けをかけると、その人のためにならない」という意味で使うことが多いようです。これは「ならず」という否定部分が「情けをかけること」自体にかかると解釈したがゆえのことでしょう。そして、情けが高じて「甘やかし」までいってしまうとそれはほめられたものではなく、時に突き放しや厳しい叱責がその人のためになることが多いことを思えば、転じた意味もまた的を射ているわけで、意味が変わってしまうのも当然かな、と思います。
さて、「流れに掉さす」や「情けは人のためならず」あたりは、全体の文章からどっちの意味で使っているか想像できますし、困ることは少ないでしょうが、そうはいっていられない言葉があります。その言葉は「天地無用」。荷物の段ボール箱等によく書かれているあれですね。
これの本来の意味は「天ヲ地トシテ用フコト無カレ」、つまり「ひっくり返すな」の意味なんですが、これを「天地を気にしなくともよい」=「ひっくり返してもいい」と解釈している人がいます。
これは「無用」という言葉に問題があります。「問答無用」や「心配無用」などは、それぞれ「問答の必要はない」「心配する必要はない」という意味で、「無用=必要なし」の意味です。なので、「天地無用」を「天地を考慮する必要はない」と解釈すると「ひっくり返してもいい」となってしまいます。しかし「他言無用」が「他人に言う必要はない」ではなく「他人に言ってはならない」であることからわかる通り、「無用=禁止」の意味もあり、「天地無用」はまさにそちらの意味なのです。複数の意味のある言葉を熟語の中に入れ、それを熟語単体で使っている(文脈から判断できない)わけですから、混乱するのが当然と思えます。
それを考えてか、「逆さま厳禁」や「逆積厳禁」という表記に変えているケースもあるようです。「天地無用」という言葉自体、そのうちなくなってしまうかもしれませんね。