文章作成時の目安

前回のエントリーで「sci98は光市事件被告人を擁護している」という空想を抱いている人がいるらしいことを紹介したのですが、そのコメント欄で読解力というハンドルの方から、そのように思われても仕方がない書き方をしている旨の指摘を頂きました(もしかしたら読解力さんもそのような空想を抱いている人のひとりかもしれません)。これは明らかに不適切な指摘なのでその旨を返答しましたが、読解力さんは「わけわからん」とのことだそうです。世の中には、ぜんぜん理解していないのにもかかわらず、さも理解しているフリをして意見を述べる方もおられる(理解していないのだから、当然たわごとの羅列になる)ことを考えると、このように自分に理解する能力がないことを素直に表現できるのは素晴らしいことだと思います。
さてそれはいいのですが、私はそのエントリー及びコメント欄で、当該被告人に対し「死刑になっても同情する気はない」「主張が認められる可能性は低い」「死刑を逃れたくて嘘ついてるんじゃないか」などと書き散らしましたが、これは非常に不適切なものです。本来これらのことはすべての証拠を精査し始めて判断できるものであって、マスコミ報道に毛の生えた程度の知識で言っていいものではありません。はっきりいって、死刑死刑とヒステリックに叫ぶ人たちの主張と違いはありません。
なぜこんな書き方をしたのかといえば、大本の空想が誤りであることをわかりやすく指摘するためですが、にもかかわらず理解できない人は理解できません。考えてみれば、元々が空想と事実を区別できないことから始まっているわけですから、そのような人に実際の事実を示したところで、まるで二つの異なる事実を示されたように感じて、混乱してしまっても不思議ではありません。
となると、当該エントリー及びコメント欄のような説明を行うことは、まともな人に「sci98の主張は死刑死刑とヒステリックに叫んでいる人たちの主張と違いはない」という誤解を与えるリスクがあるのみで、なんの意味もないことになります。それなら「sci98が本件被告人を擁護している箇所を示せ」と言った方が、おそらく「すべての発言を読んで全体的にそう判断したのだ」とかいう言い逃れしか出てこないでしょうけど、まともな人に誤解を与える余地がない分、優れています。
自分の意見を主張するにあたって何を書けばよいか、面白く感じさせてもらった一件でした。