ウェブそもそも論(はやはり謎)×8

どうやら終わってしまったようです。前回、要点につながる部分だけざっくり書いたものを再掲します。

WWWに置かれた文書は誰でも自由に読めて、自由にリンクできる。WWWはそのための場所。「リンクされたくない」という立場でWWWを使うことは勝手だが、願い叶わずリンクされても、それは自分の責任。他人に文句を言ってはいけません。

やってはいけないことは以下の2点。

  • 「許可のないリンクはマナー違反だ、良識がないのか」と論う行為
  • 「俺はリンクされるのが嫌だ、なのでリンクを外せ」と命じる行為

「筋違いなのは百も承知ですが、リンクを外して下さいませんか」というお願いや「そのリンクは文章の流れを分断していますので、外してはどうでしょうか」という提案はこの限りではありません。見ての通り「こんなことはやっちゃいけません」という主張です。で、くっぱさんはこの主張が謎だそうです。そしてくっぱさんのエントリーの以下の記述。

私はどのような行為が不当であるのか、実はよく解っていないのです。

そりゃ謎にも思うでしょう。やっていいことと悪いことの区別がつかない人が、「こんなことはやっちゃいけません」という主張を謎に感じるのは当たり前です。道理で、

無断リンク禁止宣言のなされたサイトへの無断リンク行為は、「その行為をすると本人が望まない不可逆な状態に相手を陥れることになる可能性を認識しているにもかかわらず、相手ではなく自分自身の判断で、相手に問答無用にその行為をなした」という事実を生じさせるという意味で、相手を問答無用に殺す殺人行為と共通性をもつ。

などというわけのわからないことを書いていたわけですね。殺人行為なんて、相手の許可を取ってやってすら不当な行為となるものです。問答無用だろうがそうでなかろうが不当となる殺人行為とリンク行為を並べて何が言いたいんだと思っていました。

できれば、私が以前にsci98さんとのやり取りの中で「相手を納得させることなくリンクをする行為」を「どのような事実を生じさせることになる行為であるか」という観点から説明したのと同じような感じで、

「どのような事実を生じさせることになる行為であるか」って、上述の「その行為をすると本人が望まない不可逆な状態に相手を陥れることになる可能性を認識しているにもかかわらず、相手ではなく自分自身の判断で、相手に問答無用にその行為をなした」ですよね。「リンクされたくない」というのは個人の勝手な希望に過ぎず、他人が配慮する必要はありません。本人が望まない不可逆な状態になったのは自分の責任として自分で処理しなければなりません。相手に問答無用で行ったところで、なんら批判される行為ではありません。こういう主張をすることに、なんの意味があったんでしょうか。そんなことより、たとえば「他人がなんらかの行為した時に、それが正当な行為であるのにもかかわらず不当な行為であると論う」がなぜ不当な行為なのか、調べたほうがいいと思います。以前にあった奈良の妊婦死亡事故が新聞で「たらいまわし」と書かれ不当なことをしたと論われたとき、医療関係者が批判していたのはなぜだったと思いますか。まず先にそっちの知識を身につけることです。

追記1

(前略)という事実が生じるから「やってはいけない」という解釈でよろしいのでしょうか。

違います、というかアプローチの仕方が逆。そんなことだから

無断リンク禁止宣言のなされたサイトへの無断リンク行為は、「その行為をすると本人が望まない不可逆な状態に相手を陥れることになる可能性を認識しているにもかかわらず、相手ではなく自分自身の判断で、相手に問答無用にその行為をなした」という事実を生じさせるという意味で、相手を問答無用に殺す殺人行為と共通性をもつ。

などという、関係ないことをさも関係あるかのようにすることになるんです。

具体的な行為が「やってはいけない行為」であるかどうかの判断は、人それぞれ違っているのではないでしょうか。

なんて書いてる暇があったら、社会において、「やってはいけない」という判断がどのように行われているか調べましょう。