ウェブそもそも論(の謎×26)

おっしゃる通りsci98さんはその文言は発言されていないと思います。sci98さんさんのオリジナルのご主張は、ウェブという

「自由にリンクできること」という目的を達成するためのシステムを使っておきながら「自由にリンクされるのは嫌だ」と思うのは異様です。

World Wide Web 2 - 妄想日記

だったように思いますが、途中からsci98さんは「異様」ではなく「不当」という言葉が盛んに使われるようになり、また「思う」のは自由だけれど「言う」のは不当という論調になってきたと感じられたので、今回のように違うとご指摘いただくまでの間は暫定的に変更した形で使っていました。

くっぱさんて、なかなか面白い人です。くっぱさんが最初に取り上げた私のエントリーから該当箇所を転記します。

ネットワーク化することが嫌なら、WWWに公開するべきではない。WWWに公開することとはすなわち全世界に公開することであるし、誰でも自由にリンクできるということなのだ。
(引用部略)
だから、「リンクされるのは嫌だ」というのは異様な主張である。やってることと言ってることが矛盾している。リンクされるのが嫌なら、それこそチラシの裏にでも書いておけばいい。本来の理念に沿ってWWWを活用しようという人に、「自分が嫌だから」という理由で文句を付けるのはただのわがままであり、WWW上のマナーに著しく反している。

…転記したらそれだけで終わってしまったような気がしますが、念のため解説します。
まず最初に、「異様」と「不当」ですが、わかりやすく書くと「異様」というのは「そりゃ変だよ」で、「不当」というのは「やっちゃダメだよ」です。そして、私の主張は以下です。

  • チラシの裏にでも書いてWWWに置かなければリンクされずに済むのに、リンクされたくない文書をわざわざWWWに置いておいて『リンクされるのは嫌だ』なんて、変なの。
  • WWW上の文書は誰でもリンクは自由にリンクできるんだから、実際にリンクされたとき、リンクされるのが嫌だからってだけの理由で他人に文句言っちゃダメだ。

やっちゃダメな理由は、通常はマナー違反とか法律違反とか様々ですが、エントリーではマナー違反を挙げています。つまり、最初から「変なこと」と「やっちゃダメなこと」を分けて主張しています。で、途中から「異様」ではなく「不当」という言葉が盛んに使われるようになった理由ですが…以下のエントリーをどうぞ。

「リンクを自由にすることができるウェブでリンクされたくないというのは変だ」という話から一旦離れて、「リンクをされたくない人によるリンク行為に対するクレームについて」についての話が始まったからです。そして、「リンクされるのが嫌だからってだけの理由で他人に文句をいうのは不当」という主張は最初からしています。
(これが私のブログのエントリーではなく、くっぱさんのブログのエントリーだというのが「なかなか面白い人」と思った理由です)

一応、私の主張を理解してもらうための想定問答集を作りました。
−想定問答集−

  • 「特定のサイトからリンクされたくない」という立場でWWWを使うことは制限されていない。

制限されていませんが、リンクされたくないサイトからリンクされても、自分の責任です。他人に責任を転嫁することは出来ません。

  • 開設してから閉鎖するまでの間にリンクされたくないサイトからリンクされなかったら、「特定のサイトからリンクされたくない」という立場は全うされる。

運がよければ「特定のサイトからリンクされたくない」という希望が叶うこともあるでしょう。しかし、願い叶わずリンクされたくないサイトからリンクされても、自分の責任です。リンクした人を含め、他人に責任を転嫁することは出来ません。

  • リンクをされた側から「なぜあなたは私のサイトにリンクをしたのですか(私が納得せざるを得ない理由を説明できないならばリンクを外せよ)」というクレームがあったならば、リンクした側は相手に納得してもらえる説明をする立場にある。

WWWに置かれた文書は、誰でも自由にリンクすることが出来ます。WWWはそのための場所です。リンクした側が、リンクされた側に納得してもらえる説明をしなければならない理由は何もありません。説明したい人はするし、しない人はしない。それは個人の自由です。

  • リンクした側がリンクされた側からの「リンクを外さないなら納得できる説明をせよ」との要求を我侭と扱ったりするのは無責任な態度である。

リンクした側が、リンクされた側に納得してもらえる説明をしなければならない理由は何もありません。相手がなんら従うべき理由のない要求をするのは、ただの我侭です。我侭を我侭として扱うのは当たり前の話で、無責任でもなんでもありません。

  • リンクした側がリンクをされた側から「なぜあなたは私のサイトにリンクをしたのですか(私が納得せざるを得ない理由を説明できないならばリンクを外せよ)」というクレームを付けられたとき、相手を納得させることなくリンクを続けるのは、それをしない自由が制限されていないにもかかわらず、「その人を納得させることなくその人の希望を打ち砕く行為をしても構わない」と自分の価値観に基づいて一方的に判断し、それを実行している。

「特定のサイトからリンクされたくない」というのはただの我侭です。「我侭な要求には従わなくてよい」というのは当たり前の話であり、個人の価値観ではありません。我侭な要求に従うか従わないかは個人の自由です。

  • 他人の我侭に過ぎない希望を打ち砕くかどうかは、その人がその行為をする自分自身のことをどのように考えているか次第だ。

他人の我侭に過ぎない希望を打ち砕くかどうかは我侭な要求をされた人が自由に決めればいいことです。ちなみに私は、以前ちゃんちゃんさんという人の「あなたのサイトからリンクされたくない」という我侭な希望を打ち砕きましたが、全然気になりませんでした。

  • リンクをされてそれまで自分のサイトの存在を知らなかった人がその存在を知ってしまったということを発端にリンクされた側にとって嫌なことが生じた場合に、リンクをされた側はその事実を是非もなく受け入れざるを得ない。

WWWに置いた文書は誰にでも知られる可能性があります。「特定の人に知られたくない」という立場でWWWに文書を置くことは出来ますが、願い叶わず知られたくない人に知られてしまっても、自分の責任です。知らせた人を含め、他人に責任を転嫁することは出来ません。「その事実を是非もなく受け入れざるを得ない」のは自分の蒔いた種なんだから当たり前です。「その事実を是非もなく受け入れざるを得ないのは嫌だから他人の責任だ」という責任感の欠如した人が世の中にいる可能性は否定しません。

  • リンクした側は「あなたは私があなたのサイトにリンクをすることを納得しています」という無言の主張をしている。

そんな主張はしていません。相手が納得しようがしまいが、リンクするのは自由です。

  • 形として「論う」や「命じる」という表現になっているが、「そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましい」と主張している可能性がある

『形として「論う」や「命じる」という表現になっているが、「そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましい」と主張する文章』だと思う例をひとつあげて下さい。『論ったり命じたりしつつ、「そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましい」と主張する文章』ではなく。

−想定問答集終わり−

「マナー違反だ」と論う行為も「リンクを削除しろ」と命じる行為も「俺はリンクをされるのが嫌なんだよ」と主張することを意図している可能性がある。この主張とリンクをした側の「俺はリンクをしたいんだよ」という主張は同格である。

「俺はリンクをされるのが嫌なんだよ」「俺はリンクをしたいんだよ」この二つを同列に並べるのは誤り。WWWに置かれた文書に対して、「俺はリンクをされるのが嫌なんだよ」という希望は、他人に叶えてもらわなければならない希望であり、他人にはそのような希望を叶えなければならない理由が一切ない。「叶えられなくてもなんの不思議もない希望」である。一方、「俺はリンクをしたいんだよ」という希望は、他人に叶えてもらう必要がなく、自分の力で容易に叶えられる。「叶えられて当たり前の希望」である。これを無視して「同格」というのは失当。
…ところで、『形として「論う」や「命じる」という表現になっているが、「そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましい」と主張する文章』の例をひとつ挙げて下さいと言っていたんですが、その答えが「俺はリンクをされるのが嫌なんだよ」なんでしょうか。とてもそうは読めないんですが。それと、「相手に『リンクを外せ』と命じることの出来る正当な理由」を何か思いつきましたか。

  • 「騙そうとしてはいけません」(なぜ騙そうとしていると言い得るのか?)
  • 「間違ったことを言ってはいけません」(なぜいけない行為であると言い得るのか?)

のどちらでしょうか。もしも他の意味を意図しているのならば、どのような意味を意図されているのか教えてください。もしも上記のどちらかならば、カッコ内が私が感じている疑問点です。

どちらでもありません。大本の主張は

  • 他人がなんらかの行為した時に、それが正当な行為であるのにもかかわらず不当な行為であると論うのは不当
  • 他人に、しなくても何の問題もないこと(すべき理由のないこと)を、自分の都合だけで命じる(お願いでなく)のは不当

そのような「嘘を書き散らしての批判」や「自分の都合を適えたいだけの我侭」は「その言葉を発するだけ」で不当です。

でして、特にこの「嘘を書き散らしての批判」というのは、マナー違反だけでなく、時に法的責任を問われるぐらいの不当な行為です。こういうことは、小さい子供が周りの人から「嘘を言ってはいけません」「我侭言ってはいけません」と叱られることがよくあるぐらいの、社会常識です。ただ、その文章をそのまま書くと、「sci98は『くっぱさんは親の躾がなっていない』と批判している」と誤読されかねませんので、それを避けるために端的に書いたものです。要は、「これぐらい常識でしょ?」ということを比喩的に書いたものです。尚、そのような常識が身についていない人が世の中にいる可能性は否定しません。