ウェブそもそも論(の謎×20)

くっぱさんが私の主張を謎に感じる原因は、「責任感の欠如」「自己責任の軽視」にあることが明らかになったと思います。

その言い訳をもってsci98さん個人が

  • それをしない自由が制限されていないにもかかわらず、「その人を納得させることなくその人の希望を打ち砕く行為をしても構わない」と自分の価値観に基づいて一方的に判断し、それを実行している

という事実を生じさせることについてご自身を納得させることができるのならば、それはそれでよろしいのではないでしょうか。そのことと、(3)を選択すれば上記の事実が生じるということとは無関係です。

−ワンポイントアドバイス
なんの補足もなく上記のようなことを書くと、くっぱさんが「リンクする場合は相手を納得させる必要がある」とか「相手の個人的な希望に過ぎないことを叶えないことは問題がある」と考えているという誤解を読者に与えかねません。こういう場合は「もちろんリンクするにあたって相手を納得させる必要などありませんし、『無許可でリンクされたくない』というのは個人的な願望に過ぎないので、その希望を打ち砕いたとしてもなんの問題もないのですが(お前は俺の希望を叶えてりゃいいんだよ、というのはただの我侭)。」と補足しておいた方が良いと思います。ちなみに、私がちゃんちゃんさんにわざわざ説明した理由は、単なる好意です。私はやさしい(時にお人よしと言われる)ので説明しましたが、やさしくない人なら「たわごとは自分のブログだけにしておけ、馬鹿」で済ませてしまうかもしれません。
尚、「リンクを外す」というのは、読者にしわ寄せがいくため、選択されにくい選択肢です。「相手を納得させることなくリンクを続け、相手の希望を打ち砕く」というのは何の問題もない選択肢のため、選ばれやすいです。「相手を納得させる」というのは、なんら必要とされていないことを相手のためだけにするわけですから、心優しい人が試みる選択肢です。相手が納得しなかった場合にリンクを続けた場合、相手の希望が打ち砕かれてしまいますが、そのような相手の勝手な希望を考慮する必要はリンクした人にはないので、相手には「ある種のサイトからリンクされたくない文書をWWWに置いた自分の責任」として自分で処理してもらうしかありません。「ある種のサイトからリンクされたくない文書をWWWに置くことは制限されていないのだから、他人に責任を転嫁してもよい」と考える責任感の欠如した人がいる可能性は否定しません。

たとえ表現として「論う」や「命じる」という形になっていたとしても、「主張する」という行為である可能性が否定できないならば、

  • 形として「論う」や「命じる」という表現になっているならば「主張する」という行為ではない

という価値観に基づくローカルな論にしかなっていないのではないでしょうか。

たとえば今回の場合、ちゃんちゃんさんが「こんなこと頼める筋合いでないのは理解していますがリンクを外して頂けませんでしょうか」というお願いとか、あるいは「当該リンクは文章の流れを分断しており、存在しない方が文章のクオリティが上がると思います」という提案(私の書いた文章のクオリティが上がるというのは私にとってもメリットのある提案)のつもりで、「許可なくリンクを張るとはどういうこと/良心の欠如/リンクを外して/良識があるならわかるはず」という文章を書いたとしたならば(*1)、それはちゃんちゃんさんの日本語能力の欠如としかいいようがありませんし、それはちゃんちゃんさんの自己責任です。自分の日本語能力の不足の責任を他人に転嫁してはいけません。
「俺は『お願い』や『提案』のつもりで『論う』や『命じる』文章を書いたんだよ。俺は日本語が不自由なんだからお前が俺の都合のいいように解釈しろよ」というのはただの我侭であり、そのようなことを言う人は責任感が欠如しています。


(*1)…念の為、ちゃんちゃんさんはこんな馬鹿げた言い訳はしていません。彼の主張は「俺は嫌がってるんだからお前は黙って俺の希望を叶えていればいいんだよ」という姿勢で一貫しています。また、当初の発言が自分の不勉強に基づく不適切なものであったことはすでに認められています。