当たり前の話

くっぱさんが私の見解に謎を感じる原因は、責任感の欠如(自己責任の軽視)にあるということが極めて強く推測できます。そのような理由ですから、くっぱさんは「普通の人には当たり前過ぎること」すら理解していない可能性があります。また、そのような責任感の欠如した人間は、少数ではありますが、くっぱさんに限らず存在します。他ならぬちゃんちゃんさんがそうでしたし(あくまで過去形)、ちゃんちゃんさんのブログでちゃんちゃんさんの見解を支持していた人もいます(回線問屋さんやちょびさん(*1) 参考(ちゃんちゃんのたわごと/ちゃんちゃん))
なので、ここに当たり前過ぎて書いていなかったことで「くっぱさんが理解していないかもしれない」ことを書いておきたいと思います。大抵の人には「なに当たり前のことを書いてんだよ」という感想しか持ってもらえないと思いますが、上述したような理由ですのでご了承下さい。


最初に、相手に何かさせようと思ったら、相手がそのようなことをしなければならない立場であることを示すか、そのようなことをすることが相手にとってもメリットがあることを説明しないといけません。他人に「その人にとって、しなければならない理由がなく、メリットもない」ことを命じるのはただの我侭ですから、当たり前です。相手に、そのようなことをしなければならない理由がなく、メリットも提示できないのならば、筋違いな頼みであることを承知の上で、頭を下げてお願いするしかありません。もし相手が、そのようなことをしなければならない立場になるのなら、それは堂々と要求できますし、相手はその要求を受け入れなければなりません。相手に、それをした場合のメリットを提示して提案しているのならば、相手が拒否することもあります。相手は「それをした場合のメリット」と「それをしなかった場合のメリット」を比較して決めるわけですし、仮に「それをした場合のメリット」の方が大きかったとしても、そのメリットを放棄する自由があるからです。筋違いな頼みであることを承知の上で、頭を下げてお願いした場合は、相手が受け入れない可能性が一層高くなります。特に「それをした場合のしわ寄せが他者にいってしまう」ならばなおさらです。
以上のことから、相手の「(道義的にも法的にも、その他あらゆる意味において)なんら問題のないリンク行為」をやめてもらおうと思ったら(リンクを外してもらおうと思ったら)、以下の3つのどれかの方法を採ることになります。

  • (1)相手がリンクを外さねばならない立場であることを示す
  • (2)筋違いな頼みであることを承知の上で頭を下げてお願いする
  • (3)リンクを外すことが相手にとってメリットのあることであることを示す、あるいはリンクを外してもらう代わりになんらかのメリットを提供する

(1)は、相手がリンクを外さなければならない立場にあるときに有効です。相手がリンクを外さなくともよい立場ならば、相手がリンクを外さねばならない立場であるかのように主張することはおかしいです。それは嘘ですから。「嘘をついてはいけません」という一般論を述べているだけですので当たり前です。(2)は、相手がリンクを外さなければならない立場になく、相手にリンクを外すことによるメリットも示せない、あるいは提供できない場合に有効です。ただし、筋違いな頼みであることをちゃんと伝えたほうがいいです。自分の立場をよく認識しましょう。(3)は、相手にリンクを外すことによるメリットを示せるか、あるいは提供できるときに有効です。ただし、リンクを外すことによる相手のデメリット(リンクを続けることによる相手のメリット)をよく考えて、リンクを外すことによるメリットの方が大きいと思ったときに提案しましょう。リンクを外すメリットの方が小さいのならば、相手がその提案を受け入れない可能性が高くなります。そのような場合でも受け入れてくれたなら相手に感謝しましょう。


次に、「リンクの問題」と「リンクにつけられたコメントの問題」は区別しましょう。リンクにつけられたコメントを修正してもなお不当であるのなら、リンク自体が不当であると言えます。しかしリンクにつけられたコメントを修正すれば不当でなくなるのなら、それはリンクにつけられたコメントの問題であって、リンク自体の問題ではありません。具体例を挙げましょう。以下のようなことを書いている人がいたとします。

世の中には、刑事弁護がどういうものかを知らず、光市弁護団を批判している馬鹿がいる。以下の参考ブログはそのような人の一例である。
(参考 sci98/妄想日記 - 刑事弁護人の役割)

この主張は不当です。私は「刑事弁護がどういうものかを知らず光市弁護団を批判する」なんてことはしていないからです。光市弁護団に批判的な主張は何度か書いていますが、刑事弁護がどういうものかを知らず批判しているわけではありません。上記内容はリンク(及びアンカー)を修正すれば正当なものになります。たとえば以下。

世の中には、刑事弁護がどういうものかを知らず、光市弁護団を批判している馬鹿がいる。以下の参考ブログはそのような人の一例である。
(参考 ちゃんちゃん/ちゃんちゃんのたわごと - 山口県母子殺害事件差し戻し控訴審第5〜7回公判)

なので、一見すると元のリンクは不当なものであるように見えます。しかしこれ、リンクではなくリンクにつけられたコメントを修正しても、正当な主張になるんです。たとえば以下。

世の中には、刑事弁護がどういうものかを知らず、光市弁護団を批判している馬鹿がいる。以下の参考ブログはそうでない人の一例である。
(参考 sci98/妄想日記 - 刑事弁護人の役割)

「そのような」を「そうでない」に変えるだけで、リンク(及びアンカー)はまったく変更せずとも、まったく正当な主張になりました。これはリンクにつけられたコメント、つまりは相手の主張が間違っていただけだからです。なので私なら、最初のような主張をされた場合に「あなたの主張内容は不当である」と反論しますが、「あなたのリンクは不当なので外せ」とは要求しません。


三番目に、「リンクの問題」と「URI開示の問題」は区別しましょう。リンクをURIベタ書きに変えても本質が変わらないのならば、リンク自体の問題ではありません。具体例を挙げましょう。私が9月24日のエントリーでちゃんちゃんさんのエントリーをリンクした部分です。

これが刑事司法を知らず世間の風に流される人のたわごとしか書いてないブログ(たとえば「橋下弁護士を応援しましょう!」)ならわかる。
(注釈部略)

ちゃんちゃんさんはこのリンクに対してクレームを付けてきましたが、実はちゃんちゃんさんが嫌がったのはリンクではないのです。「批判的な形でURIを開示されたこと」なんです(参考 - ここのコメント)。なので、たとえば以下のように

これが刑事司法を知らず世間の風に流される人のたわごとしか書いてないブログ(たとえば「橋下弁護士を応援しましょう!」URL:http ://blog.kansai.com/kiseki7asagi/524)ならわかる。

リンクせずURIベタ書きであったとしても、ちゃんちゃんさんは嫌がったでしょう。ちゃんちゃんさんが嫌だったのは「リンク自体」ではなく「批判とともにURI開示されたこと」です。


(*1)…念のため、回線問屋さんやちょびさんはちゃんちゃんさんのブログの読者なので、ちゃんちゃんさんの私に対する発言が身勝手で無責任な甘えた発言であることを理解しつつ、ちゃんちゃんさんを慰めるため「心にもないことを言っていた」可能性はあります。親しい人間が馬鹿なことをしでかしたとき、叱ってあげるのももちろん正しいのですが、お前は間違ってないよ、向こうが悪いんだよ、と心にもない嘘をついて慰めてあげることが、直ちに間違いであると言い切れないと思います。