ウェブそもそも論(の謎×18)

リンクされた側からリンクを止めるように言われた場合、リンクした側は

(1)リンクを削除する
(2)リンクしたことについて相手の同意を取ってリンクを継続する
(3)リンクしたことについて相手の同意を取らずリンクを継続する
の3つから対応を選択する。その選択はリンクした側が行うことであり、リンクされた側が行うことではない。

そして、それが普通の人にとって気軽にできる選択なのかどうかについて私は判断できませんが、(3)を選択した場合に

  • それをしない自由が制限されていないにもかかわらず、「その人を納得させることなくその人の希望を打ち砕く行為をしても構わない」と自分の価値観に基づいて一方的に判断して、それを実行している

という事実が生じるということも述べています。

ちなみに私は今回の件において、まず(2)を試み、ちゃんちゃんさんがその説明に納得しなかったので、(3)を選択しました。(1)を選択すると読者にしわ寄せが行きますから、妥当な選択です。
リンクする理由は通常はエントリーを読めばわかりますし(わからないのならリンクの問題ではなくリンクに添えられたコメントの問題)、ちゃんちゃんさんのように「不勉強故に納得する能力がない」のはリンクした人の責任ではありませんから(「俺は馬鹿なんだからお前が頭を下げて説明しろよ」というのは不合理)、相手が納得しない責任をリンクした人間に負わせるわけにはいきません。尚、「自分の個人的な都合にしか基づかない希望」というのは打ち砕かれても自己責任です。

「リンクを止めるように言う」といってもいろいろありまして、

  • (1)許可のないリンクは不当なものだから削除して、と言う
  • (2)恐縮ですがどうかリンクを外してくれませんか、と言う
  • (3)本件リンクは存在しない方がよいのではないか、と言う

などが考えられます。

しかし、それを言う側がどの言葉を発したとしても「そのリンクが存在しないほうがウェブのネットワークトポロジーとして望ましい」と主張しているとの解釈が不可能でないならば、(私たちの議論と同じように:−)相手に伝えたいことをうまく表現できていないだけという可能性が残ります。ならば、仮にたとえ(1)の言葉が発せられたとしても、その言葉を発することが不当な行為であるとは必ずしも言い得ていないのではないでしょうか。

まず、WWWだけに限らない、言論一般に適用されることを書きます。

  • 他人がなんらかの行為した時に、それが正当な行為であるのにもかかわらず不当な行為であると論うのは不当
  • 他人に、しなくても何の問題もないこと(すべき理由のないこと)を、自分の都合だけで命じる(お願いでなく)のは不当

そのような「嘘を書き散らしての批判」や「自分の都合を適えたいだけの我侭」は「その言葉を発するだけ」で不当です。これは当たり前の話です。さて、前記(2)及び(3)、すなわち「お願い」や「提案」をする場合には「相手がそれに従わなくてはならない理由」を提示する必要はありません。ありませんが、だからといって「何を言ってもいい」わけではありません。「許可を得ないリンクはマナー違反です。あなたは人の道に外れています。なのでリンクを削除して頂きますよう、頭を下げてお願いします。」というのは「お願い」ではありますが、「相手のなんら問題ない行為を不当であると論っている(嘘を書き散らしている)」時点で不当です。なので“「そのリンクが存在しないほうがウェブのネットワークトポロジーとして望ましい」と主張しているとの解釈が不可能でない”としても、その前に上記のような「嘘を書き散らす」ようなことをしていれば不当です。
さらに、ある人が「そのリンクが存在しないほうがウェブのネットワークトポロジーとして望ましい」という提案をするつもりで「そのリンクは私が許可していないから削除せよ」と言ったとします。しかし「そのリンクは私が許可していないから削除せよ」という文章は「私が許可していないことを理由に削除を命じた」と解釈される文章です。書いた本人は「そのリンクが存在しないほうがウェブのネットワークトポロジーとして望ましい」という提案のつもりだったとしても「私が許可していないことを理由に削除を命じた」と解釈されるのは書いた人の自己責任です。“私は「そのリンクが存在しないほうがウェブのネットワークトポロジーとして望ましい」という提案のつもりで「そのリンクは私が許可していないから削除せよ」と書いたのだから、「私が許可していないことを理由に削除を命じた」と解釈するのは不当だ”という人は「言論をなす」ということに対する責任感が欠如しています。

なぜ議論において「言い得ていない主張をする行為」が「不当」であると言い得るのか(あるいは、なぜ「言い得ていない主張をした人」が議論をしようとはしていないと言い切れるのか)という点について、とても謎めいているようない気がします。

嘘を書き散らして他人を批判するのは無責任な行為です。議論しようとしながら「命じていると解釈される文章」を書くのも無責任です。それを「問題ない」と考えるのは、くっぱさんに責任感が欠如しているからです。


前回のエントリーのコメントに対するコメント

そもそも(w)、「リンクがいやだ」とかいう戯れ言って、「引用がいやだ」と同じことなんでにゃーの?

まあ同じようなものでしょうね。今回の件にしても、ちゃんちゃんさんが嫌がったのは「リンクされたこと」ではなく「批判的な意図の下にURIを開示されたこと」なんです(自身のブログで明言しています(ここのコメント))。なので、リンクでなくURIベタ書きでもちゃんちゃんさんはクレームをつけていたでしょう。これって「俺は言論を公開しているが批判されるのが嫌なんだよ」ということで、無責任というか我侭というか言葉がないのですが、そういう人が少なくないのが困りものです。

wwwって、言論のためのツールとしてとてもよく考えられているわけですよにゃ。wwwの思想っていうのは、いわば言論の自由の思想の具現化にあるのではにゃーだろうか。リンクダメってのは、言論の自由の否定ってことになるのだから認めようのにゃー我が侭だにゃ。

そうですね。WWWにおけるリンク問題は「言論を公開する場においてはいかにあるべきか」という「WWWを離れた言論における一般論」から語らないといけないと思います。とはいえ、「WWWに置くという事は世の中に公表するということだ」「公表された意見への言及は自由に行われるのだ」という、WWWとは関係のない社会の合意事項すら知らない人が相手である場合が多いわけですから、難しいんですけど。