ウェブそもそも論(の謎×14)

前回、見解の相違の原因は責任感の欠如にあるのではないかと思いましたが、今回のくっぱさんのエントリーでますますその意を強くしました。なんというか「自己責任の軽視」ですね。

「どのような人であってもウェブを『このサイトからはリンクをされたくない』という立場で使用してはならない」なんてことはありません。

ならば、そのような立場でウェブを使っても不当とは言えないのではないでしょうか。だとしたら、

仮に、「情報を互いに公開するけどリンクは許可制」という場所(そういう目的で作られている場所)なんだけどシステムに不備があり許可のないリンクが出来てしまう場所があったとする。そのような場所は「自由なリンクを制限する機能を備えていない」けど、でも許可を得ないリンクは不当です。

の喩えを導入した意図が謎めいてしまうような気がします。

単に「物理的に可能だからといって正当な行為とは限らない」と言いたかっただけですけど。もしかしてくっぱさんの「〜の立場で使う」というのは「〜の立場で行う行為すべて」を指しているのでしょうか。

リンクをされてそれまで自分のサイトの存在を知らなかった人がその存在を知ってしまったということを発端にリンクされた側にとって嫌なことが生じた場合に、リンクをされた側はその事実を是非もなく受け入れざるを得ないわけで、それを無責任に放棄する選択肢はリンクされた側には残されていないような気がします。殺された人は殺されたという事実を無責任に放棄できないのと同じ意味で、自己が負うべき責任は自動的に負っていることになっていると言えないでしょうか。

WWWに文書を置くということは「世の中に公表する」ということですから、誰に知られても自己責任です。「ある種の人には知られたくない」という立場でWWWに文書を置くことは制限されていませんし、運がよければその望みは叶うかもしれませんが、叶わなくても自分の責任です。「ある種の人には知られたくないなあ」と思うならWWWに置かなければいいんです。「ある種の人には知られたくないという立場でWWWに文書を置くことは制限されていない」からといって「ある種の人に知られた」時に他人に責任を取らせることができる(自分に責任がないといえる)わけではありません。他人に責任を取らせるためには、少なくとも責任を取らせようとする相手の行為が不正なものである必要があります。WWWに置かれた文書は公表されたもので誰でも読めるものですし、誰でも自由にリンクできるものです。「ある種の人に知られたくない」「ある種のサイトからリンクされたくない」というのは単なる個人の希望であって、他人がそれに配慮しなくても不当ではありません。なので、相手がその希望に沿った行動を取ってくれなかったとしても、相手にはなんの責任もありません。他人になんら責任がないのに自分に嫌なことが生じたなら、自己責任として自分で解決しなければなりません。

「あなたは私があなたのサイトにリンクをすることを納得しています」という無言の主張に対して
(中略)
リンクをする側は相手を納得させることなくリンクをするという無責任な態度

リンクをするのに「相手を納得させる責任」などありません。なので、リンクをする人は「あなたは私があなたのサイトにリンクをすることを納得していますという無言の主張」などしていません。また、「相手を納得させることなくリンクをする」というのは無責任な態度ではありません。

ちなみに、

・殺された人は殺されたという事実を(以下略)
・物を奪われた人が奪った人に(以下略)

殺されたり物を盗まれたりした場合、相手に責任を取らせることができるのは相手の行為が不当だからです。なんら不当ではないリンク行為と、不当な行為である殺害行為、窃盗行為を同列に扱っている時点で誤りです。