「「「「「ウェブそもそも論の謎」の謎」の謎」の謎」の謎」の謎

今回はトラックバックがない…それはともかく、くっぱさんは大本の「WWWの理念」というエントリーがどういう状況で書かれたか認識してますか?
私がちゃんちゃんさんのブログのエントリーをリンクした際、「勝手にリンクを張るとはどういうこと/マナー違反/リンクを外して/良識があるならわかるはず」というクレームを付けられまして、その時ちゃんちゃんさんのクレームに対応しなかった所、ちゃんちゃんさんが「意外としつこい(苦笑)」というエントリーを立てられましたので、それに対するコメントを綴ったものです。

で、そのちゃんちゃんさんの別のエントリーのユージさんという方のコメント中に

しかし、現在の利用状況を考えれば、当初の理念がどうだったかということを建前にすることは無意味と思います。

という一文があり、それはちゃんちゃんさんも同感であるそうです(*1)。で、くっぱさんも

歴史は歴史であって、もはやその当初の目的はウェブの利用者全体における利用目的であるとは言い得ていないのではないでしょうか。

と書かれているのですが、この根拠は何ですか?インターネットはみんなのものだし、そのインターネットを利用しているWWWの「情報の共有、結合」という目的を覆すようなRFCは存在していないと思います。
ユージさんやちゃんちゃんさんやくっぱさんの主張が正しいなら、RFCはなんのためにあるんですか?

たとえ「お前死んでくれよ。」と言われたとしても、死ぬ死なないを自身の裁量で決める自由に関して相手から何ら制限をされたわけではないのだから、事実上の被害はありません(マシュマロはそのような食品として製造されているわけです)。だとしたら、このことをもって相手のわがまま行為(つまり、相手から自分に対してなされた迷惑行為の一種)であるとするのは被害妄想も甚だしいのではないでしょうか。

もらったマシュマロを食べたぐらいで「お前死んでくれよ」といわれたら迷惑です。迷惑でない人にとってはわがままでないかもしれませんが。

もしもサイトを開設してから閉鎖するまでの間に「リンクをされたくない」相手からリンクをされることがなければ、「リンクをされたくない相手からリンクをされることなくウェブにサイトを公開する」という目的は達成し得たと言えないでしょうか。ウェブは、「リンクをされたくない」人がサイトを開設したとしても、その目的が達成される可能性が確実に排除されるようには設計されていないような気がします。

そりゃ、運良く「リンクされたくない相手からリンクされなかった」なら、「リンクされたくない相手からリンクされたくない」という目的は達成できるでしょう。でも、WWWには「リンクされたくない相手からリンクされない」という機能はないし、それはWWWが「自由にリンクできないなんてことがないように」注意して作られてるからです。なので、そのような幸運がなく「リンクされたくない相手からリンクされてしまった」場合でも、文句言う相手はいません。WWWを使うかどうかは個人の自由です。「リンクされたくない相手からリンクされない」という目的を達成するための機能を持っていない、むしろ「誰からでも自由にリンクされる」という目的を達成するための道具を自分の意思で使っているわけですから、誰からリンクされようと自己責任です。

「という目的を達成するためのシステムを使って」は正確には「という目的を達成するために当初設計されたものの、それ以外の目的で利用することも制限されていないシステムを使って」であって、「おきながら」以降の結論を導くにはどのように論理を展開すればいいのかとういう謎は依然として残されているような気がします。

WWWが「情報の共有、結合」という目的で作られたこと、それに適した機能を持っていることは単なる事実です。自分の意思で「自由なリンクを妨げない(誰からでもリンクされうる)」道具を使い、結果、リンクされたくない相手からリンクされても自己責任です。なのに、他人にクレームを付けるのは変です。「という目的を達成するために当初設計された」とありますが、この目的は現在でも有効のはずです(これを覆すRFCは私の知る限り存在しない)。
WWWの「情報の共有、結合」という目的を覆したいのなら、いきなり他人にクレームを付けるのではなく、そのようなRFCを成立させるのがスジじゃないんですか?


(*1)…あくまでコメントの書かれた当時において。