「ウェブそもそも論の謎」の謎

Webとは何かを理解しようとするなら、すなわち私や私の仲間たちが共有しているヴィジョンに参加しようとするなら、Webがどのようにしてこの世に現れたのかを知る必要がある。

  • Webの創成 World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか(P11)

(Tim Berners-Lee著/高橋徹監訳/毎日コミュニケーションズ)


10月2日のエントリー「WWWの理念」に、くっぱさんからのトラックバックがあった。

なんと、まともにエントリーの内容を取り上げてもらったトラックバックはこれが始めてである。くっぱさんありがとう!
…書いてて空しくないか?自分。
それはさておき、くっぱさんにわざわざ取り上げて頂いたのだから、その見解に対してきちんと自分の意見を書いておこうと思う。

ネットワーク化することが嫌なら、WWWに公開するべきではない。WWWに公開することとはすなわち全世界に公開することであるし、誰でも自由にリンクできるということなのだ。

リンクをしたい人は、自分のサイトから相手のサイトへのリンクが存在するネットワークトポロジーが望ましいと主張し、リンクをされたくない人は、相手のサイトから自分のサイトへのリンクが存在しないネットワークトポロジーが望ましいと主張しているのであって、どちらもネットワーク化という観点からはどちらも主張としては同格であるといえないでしょうか。
くっぱのブログ「ウェブそもそも論の謎

えー、WWWは「ハイパーテキストによる情報の結合、情報資源の共有」を目的として作られました。ぶっちゃけた書き方すると、「『情報を全世界で自由に使えて自由にリンクできたらいいね』という発想を実現するための場所」として作られたということです。これは単なる歴史的事実です。さて、「情報を全世界で自由に使えるのはいいんだけど、自由にリンクできるのは嫌だなあ」と考える人がいた場合、その人はどうするのが正しいでしょうか。
(1)「『情報を全世界で自由に使えるけど自由にリンクできない』という発想を実現するための場所」を新たに作る
(2)「『情報を全世界で自由に使えて自由にリンクできたらいいね』という発想を実現するための場所」を使い、「迷惑はかけませんからお願いします」という態度をとる。
(3)「『情報を全世界で自由に使えて自由にリンクできたらいいね』という発想を実現するための場所」を使い、「お前ら俺の言うこと聞けよ」という態度をとる。
理想は(1)です。(2)は仕方ないと思います。さて、(3)はどうでしょうか。私にはただのわがままに思えます。「自由にリンクされるのは嫌だ」という感情は個人の感情の問題だから仕方ないとして、そういう感情を有する人が「『情報を全世界で自由に使えて自由にリンクできたらいいね』という発想を実現するための場所」を使うにあたって、「お前ら黙って俺の言うこと聞いていればいいんだよ」という態度をとるのはいかがなものか、という話です。大体、(2)が仕方ないのは、「『情報を全世界で自由に使えるけど自由にリンクできない』という発想を実現するための場所を新たに作る」のが半端じゃなく困難なことにあります。とてつもない労力を必要とするでしょうし、個人の力では無理でしょう。でもね、「自分が苦労したくないから他人が別の目的で作った場所を好き勝手に使う」ってどうよ?

(引用部分略)

  • Webの創成 World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか(P49-50)-

(Tim Berners-Lee著/高橋徹監訳/毎日コミュニケーションズ)
だから、「リンクされるのは嫌だ」というのは異様な主張である。

単にシステムの設計の話であって、システムを利用する人が「リンクされるのは嫌」かどうかとは別次元の話ではないでしょうか。だとしたら、「リンクされるのは嫌」が異様な主張であるという主張の根拠は今ひとつ明らかではないような気がします。
くっぱのブログ「ウェブそもそも論の謎

「自由にリンクできること」という目的を達成するためのシステムを使っておきながら「自由にリンクされるのは嫌だ」と思うのは異様です。自由にリンクされるのが嫌なら自由にリンクできないシステムを使えばいいだけです。

本来の理念に沿ってWWWを活用しようという人に、「自分が嫌だから」という理由で文句を付けるのはただのわがままであり、WWW上のマナーに著しく反している。

WWWの理念についてわざわざ「本来の」とつけなければならないほどに、現時点でのWWWはすでに本来の理念にもとづいて尽力していた人たちの手からは遠く離れてしまっている状況にあるのではないでしょうか。だとしたら、なぜ本来の理念に沿ってWWWを活用しようという人の主張が優先されて、そうではない人の主張がわがままであると言い得るのかについての根拠はどのあたりにあるのでしょうか。
くっぱのブログ「ウェブそもそも論の謎

これは、ちゃんちゃんさんが「WWWはプライベート空間というのが原則」という誤った主張をしていたので、それに対比するために「本来の」と付けただけです。なので、「だとしたら」以降は前提において失当です。

誰が誰を崇拝するのも自由ですけど、ウェブはもはやその人たちの手から離れてしまっているのだから、ウェブの本来の理念を持ち出して他人にものを言ったとしても、自分の信じる宗教にもとづいて他人に一方的にものを言っているのとあまり違いがないような気がします。
くっぱのブログ「ウェブそもそも論の謎

…オチにマジレスしないでくれ、しくしく。

いったん公開されてしまったら、世の中にその情報のアドレスが出回ったことについて不満をいうことはできない。

  • Webの創成 World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのか(P175)

(Tim Berners-Lee著/高橋徹監訳/毎日コミュニケーションズ)