刑事弁護人の役割

今枝弁護士のブログは誰でもコメントができるようになっているので、非法律家の方もいろいろな意見を述べている。そういった意見を読んでいて思うのが、刑事弁護人の役割、とりわけ「社会正義の実現」に関しての誤解がかなり多いということだ。弁護人の更新意見書 40というエントリーでゴマだれ派という方(*1)が以下のコメントを述べられている。

いち早く処刑され社会正義が達成される事を祈ります

ゴマだれ派さんにとって、今回の被告人が処刑されることは社会正義に適うことらしい。まあ、処刑に値する凶悪な犯罪者が処刑されることは社会正義に適うというのは(これだけだとあまりにも単純な表現だが)同意してもいい。問題は、「処刑に値する凶悪な犯罪者」というのをどうやって明らかにするかである。私やゴマだれ派さんのような部外者が、(主にマスコミ報道から手に入れる)捜査機関側の出した証拠や被告人の供述から無責任な判断をするのは構わないとしても、実際に処刑するかどうかの判断をそのような方法でやってもらっては困る。そのようなことをしていた時代にどのようなことが起こっていたか、少し調べれば誰でもわかるだろう(*2)。
まず単純に「これだけはやっておかないとまずいだろう」と思うことは、被告人と訴追側の人間(検察官)を「対等な立場の当事者」と扱った上で、被告人に言いたいことは全部言わせることである。被告人に言いたいことを全部言わせた上で、それを検察官がすべて論破することによって、「被告人の言い分は通らない」ことを明らかにしなければならない。当然「被告人の言い分は通らない」と判断するのは、検察官でなく公正な中立の立場の人間(裁判官)でなければならない。ここまでやれば公正な裁判の下、被告人が凶悪な犯罪者であると明らかにできるだろうか。いや、これだけではまだ駄目である。たいていの被告人は法律に関しては素人だ。そのような人が簡単に(国家機関であり法律の専門家の)検察官と「対等な立場の当事者」でいられるだろうか。いくらなんでもそれは無理だろう。言葉の上だけ「対等な立場の当事者」にしていても、それを実現するための有効な措置を採らなければ絵に描いた餅である。そんな状態で行われた裁判で「処刑に値する凶悪な犯罪者」であることが明らかになるわけがないし、それでは社会正義の実現などおぼつかない。
そのため、現行法では「被告人と検察官を対等な立場の当事者」にするための有効な策をひとつ採っている。それは「どんなことがあっても被告人の味方をする法律の専門家」を被告人に付けるのである。これは「被告人と検察官を対等な立場の当事者」にするための存在であるから、何があってもその人は被告人の味方をしなければならない。その人が被告人の味方をしなければ「被告人と検察官は対等な立場の当事者」というのは形だけのものになってしまい、社会正義の実現など不可能になってしまう。これが「刑事弁護人」と呼ばれる存在である。だから、刑事弁護人は徹頭徹尾被告人の味方をしなければならない。それが社会正義の実現のために課せられた刑事弁護人の使命である。
そして徹頭徹尾被告人の味方をする刑事弁護人の主張がおかしければ、それに反論するのが公益の代表者としての検察官に課せられた使命であるし、両者の言い分を聞いて中立の立場から法に則った判断をするのが裁判官に課せられた使命である。
こうやって、各々の立場の法律家が自分に課せられた使命を全力で果たしてこそ、社会正義は実現されるのである。

(*1)…私の配偶者が極端なポン酢派のため、ゴマだれは食したことがない。
(*2)…その「少し」すら調べない人がいるのが世の中の怖いところである。