宗教律について考える

NATROMさんの日記エホバの証人の輸血問題に関する見解が紹介されていた。この見解、NATROMさんも指摘しているように大いに問題ありの内容で、まあウソデタラメという言葉がふさわしいものである。
さてこのようなウソデタラメを垂れ流す行為は一般的に良くない行為であるとされているのはもちろん、キリスト教の宗教律においても禁止されている。そして、エホバの証人は(モルモン教統一教会と並んでキリスト教三大異端の一つであるが)キリスト教系の宗教である。このようなウソデタラメを垂れ流すことは一般常識から許されないのはもちろんのこと、彼らの宗教律からも許されないはずである。なのになぜ、このようなウソデタラメを垂れ流すのであろうか。
一般信者がウソデタラメを垂れ流す理由はわかる。単に正しい医学知識を持っておらず、上層部から与えられたウソデタラメを無邪気に信じているだけであろう。たとえば日本の首都は大阪であると信じている人に「日本の首都はどこですか?」と聞いたら、「大阪です」と答えるであろう。それと同じことである。ちなみにこのように、知らず知らずのうちに宗教律違反をしてしまうことを防ぐためにキリスト者は常に正しい知識の習得に努めるべきであるのだろうが、相手が医学のように奥の深いものであれば仕方ないのかもしれない。意図的なウソでなく、かつウソをつかないでいるためには高度の専門的知識が必要な事柄となれば、エホバ神も情状酌量してくれるかもしれない(してくれないかもしれない。高度の専門的知識を要する事柄に対して、専門の文献を調べもせず他人の言う事を鵜呑みにして、結果ウソデタラメを垂れ流すことは到底褒められたことではないのだから)。
一般信者はそうであるとして、その一般信者にそのようなウソデタラメを吹き込んだ上層部の人達はどうであろうか。彼らはその主張を、医学的事実を調べないままでっちあげたか、医学的事実を調べた上ででっちあげたかのどちらかのはずである(上層部の人間を馬鹿にしてよいなら「医学的事実を調べた上で自分達の主張が正しいと勘違いした」という仮説も可能であるが。)。いずれにせよ、彼らはウソデタラメであることを承知の上で言っていることになる。何故そのようなことをするのだろうか。
ウソをつくことは一般的にいけないことであるとはいっても、例外はある。挨拶するときに別に特に世話になっていない人に対して「いつもお世話になっております」と言ったり、贈り物をするときにそれがいくら有用な物であっても「つまらない物ですが」と言ったりするが、それを「ウソだから許されない」と言う人はいない。このようなウソ(社交辞令や謙譲)は一般的に行われているし、エホバ神も認めているだろう。ではエホバの証人の上層部はどのような理由でウソをついているのであろうか。
理由はおそらく、一般信者が道を踏み外さないためであろう。人間とは弱い生き物である。いくら輸血がエホバ神の言葉に背く行為であると知っていても、輸血しなければ助からないていう状況になれば輸血してしまうかもしれない。となれば、そのようなことが起こらないように手を打とうとするのは当然である。しかしこれ、キリスト教的に許されるのであろうか?
エホバの証人信者でない私が考えることなので妥当でないかもしれないが、このような理由によるウソは許されないように思える。たとえばであるが、五歳ぐらいの子供を洗脳してエホバの証人信者にしたとしよう。その子が成長して知見を広げていくうちに、棄教してしまう可能性は当然ある。ならば、そのようなことが起こらないようにその子を殺してしまうことをエホバ神は許すだろうか。多分許さないと思う。ならば、道を踏み外さないように人を殺すことが許されないのと同様、道を踏み外さないようにウソをつくことも許されないのではないか。
もちろんそれぐらいのことは上層部の人達もわかっているはずだ。にもかかわらず、何故彼らはウソデタラメを垂れ流し続けるのであろうか。おそらく、彼らは自分達が地獄に行く事を覚悟してやっているのだと思う。もちろん、他人を天国に導くためだ。なんとも素晴らしい人達である。彼らこそ、宗教指導者の鑑と言うに相応しい。他人の迷惑を顧みない所まで含め、まるでモーセのようである。