法律真理教

以前のエントリーで科学真理教を紹介したが、それに匹敵する「なんでそんなもん信仰できるの?」と問いたくなる宗教がある。それは法律真理教である。その考えの基本は「世の中の判断基準を法律にしかおかない」というところにある。言うまでもないが、法律とは世の中にたくさんあるルールの一つに過ぎない。法律に違反していなくてもやってはいけないことなどいくらでもある。しかし法律真理教教徒の考えは違う。彼らにとっては「法律に違反していない=やってもいい」である。
信仰の自由を重視する私であっても、さすがに近寄りたくない人達である。幸いなことにそのような人は私の近くにはいないが、ネットではよく見る。特に刑法三十九条の絡むところによく集まってくる。
刑法三十九条というのは、心神喪失者の行為を処罰しないと定めた条文である。たとえば、心神喪失者が人を殺しても処罰されない。当たり前のことであるが、心神喪失者であろうと人を殺すのは悪いことである。心神喪失者が人を殺しても処罰されないのは、心神喪失者ならば人を殺しても構わないからではなく、犯罪成立要件「構成要件に該当する違法で有責な行為」の内の有責性に欠けるからである。
ところが法律真理教教徒はそうは考えない。彼らにとって「処罰されない=やっても構わない」であるから、彼らはこれを「心神喪失者は人を殺しても構わないのだ」と解釈する。心神喪失者であろうと人を殺してはいけないのは当たり前だから(彼らにもそういった常識はある)、結果として彼らは「刑法三十九条など削除してしまえ」と主張する。それは彼らの信仰からすれば当然なのかもしれないが、国会が特定の宗教に肩入れすることはないから彼らの願いが叶うことはない。
他にも著作権法放送法母体保護法などでこれに相当する意見をみることができる。それらをまともに相手しようとしても無駄である。なぜならそれは宗教だからだ。信仰に理由はない。ただ不思議に思うのだが、なぜそんなものを信仰できるのであろうか。そんなものを信仰するぐらいなら、鰯の頭でも信仰していた方が何倍もマシに思えるのだが。