二ヶ月が過ぎ…

日記というか、愚にもつかないたわごとを書き始めて二ヶ月がたった。読み直してみると、まあなんというか他人のブログから拾ってきたネタが多い。普通ブログを書くといえば自分で頑張ってネタを作るものである。それをこんな風に他人の褌で相撲を取ってばかりでいいのだろうか。
…などということをつらつら考えていたら、ふとあることに気付いた。「他人の褌で相撲を取る」というと何かダーティなイメージがあるが、本当にそうだろうか。そもそも、相撲の強い弱いに褌の差などないのではないか?たとえば私が朝青龍関の褌を借りて相撲を取ったとする。私は朝青龍関のような強さを発揮できるだろうか。…できるわけがない。確かに道具の差が結果に大きな影響を与えるスポーツもあるが、こと相撲に関してはそのようなことはあるまい。他人の褌で相撲を取って勝ったとしても、それはその人の実力なのである。
考えてみれば、諺にはそのような意味不明のものが多い。早起きは三文の徳というが、三文といえば二束三文とか三文芝居とか、価値のないものに対して使われる言葉である。早起きしても何の徳にもならないといいたいのか。
おかしな諺はまだまだある。案ずるより産むが易しなど産婦人科医の苦労を何も考えていない。十よく五を制すというが多数決など民主主義社会では当たり前である。6あれば9ありって3の倍数ぐらい暗算でわかる。美人薄命ってそんなに私の配偶者を早死にさせたいか。
このように、諺には意味不明なものや意味のないものが目白押しである。やはり諺などに振り回されてはならないということだろう。なので、今後も気にせず駄文を書き続けていこうと思う。あとは野となれ山となれ。