総理の職責について

またまたYosyanさんのブログからネタ引っ張ってきた。今回のYosyanさんのエントリーは安部総理の職責に関して言及したものであるが、それに対してコメント欄でTFRさんから突っ込みが入ったのだ。具体的なやり取りはYosyanさんのブログを参照頂くとして、Yosyanさんは総理に求められるものとして以下の点を上げている。

政治家は清廉潔白であるべしが大原則です。(中略)政治家が政治資金を集めるのは政治のための必要悪としなければなりませんが、その会計処理には細心の注意が必要とされます。

また、子供への影響について以下の点を上げている。

その首相の基本姿勢が「800円では大臣は免責である」である事を現場の教師はどうやって子供に伝えるのでしょうか。私は子供たちが「800円までの万引きは問題ないのね」と誤解することを心配します。

Yosyanさんの意見は小学生の会話が元になっていることから、上記の「子供」は小学生を指すと思われる。以上を簡単にまとめると、
・総理は清廉潔白であるべきである
・子供の教育に責任を持つべきである
ということらしい。
私はどうもこのあたりの主張に違和感を感じた。どうもこれは国会議員に対する要求のような気がするのだ。総理は行政府の長である。もちろん国会議員でもあるが、国会議員として求められる資質と行政府の人間として求められる資質は異なるだろう。私にはYosyanさんの見解が「プロ野球選手は子供たちの憧れなのだから清廉潔白であるべき」と同様の主張に聞こえる。ただ、私は政治学に無知であるのでYosyanさんの主張が正当かどうか判断ができない。とりあえず総理の職責に関する文献を調べて、そこから判断することにする。幸いにも、知人が総理に関する文献を持っていた。私は政治学に無知であるため、その文献の出版社の定評もわからないし、著者の名前も知らなかった。しかし知人が言うにはその本はかなりの部数が売れており、テレビ番組の資料としても盛んに利用されたそうであるから、まあ信頼が置ける文献なのであろう。その文献を元に、Yosyanさんの見解について検討してみる。
<1.総理は清廉潔白であるべきか?>
その文献は、総理の行動に関してかなりの記載をしている。その文献で、総理の行動で真っ先に言及しているのが痴漢行為である(痴漢行為というのはもちろん、乗り物の中で女性の体を触ることだ)。そしてその文献は総理の痴漢行為をさして問題視していない。それはそうだろう。総理というのは行政府の長である。ならば、その評価の元となるのは政治的手腕のはずであり、痴漢行為云々など関係ない。痴漢行為云々で総理の資質を評価するのは、プロ野球で言えば痴漢をしたからホームラン王のタイトルを取り上げるというようなものである。ホームラン王はどれだけたくさんのホームランを打ったかでのみ決まるべきで、痴漢行為の有無をその判断基準に入れるべきではない。他にも、赤ちょうちんのツケを溜めまくって平然としていることや、気に入らないことがあると車を無謀運転することなどが総理の行動の一部としてあげられているが、いずれもさして問題視されていない。この考えには同意できる。よって、総理は清廉潔白であるべきというのはYosyanさんの願望に過ぎないと思える。
<2.総理の教育への配慮>
総理の教育への配慮であるが、文献ではかなりの量を総理の子供に対する教育に割いている。これはちょっと意外であったが、そういうものなのだろう。ただし、その配慮は中学生に限られる。これは確かにそうだろう。小学生以下の子供は、いわばまだ家庭を出きっていない存在であり、その教育の責任は家庭と小学校のみにあると考えるのが自然である。まだ家庭を介さず赤の他人と付き合う年齢ではないのだ。また、高校生以上はもはや義務教育の範囲外である。範囲外であるから、その子らの教育に関して国が責任を負う必要はない。なので、総理の教育の対象は中学生のみに向けられると見るべきであり、Yosyanさんの見解は家庭や小学校の責任を総理に押し付けるものであり不当である。
以上、早足ではあるが文献を元に検討した結果、Yosyanさんの見解は不当なものであり万人に通じるものではない、という結論に達した。以上を結論として、本稿を終わりとする。

<参考文献>
ゆうひが丘の総理大臣/望月あきら 秋田書店