みそひともじの夢

短歌は五・七・五・七・七からなる定型詩である。はるか昔(上代)から作られているだけに、短歌の存在を知らない人は皆無といっていいだろう。短歌は最初の五・七・五を上の句、次の七・七を下の句という。主に正月に行われるかるた遊びである百人一首では、取り札には下の句しか書いていないなどがあるため、上の句/下の句という呼び方はかなり一般的なものである。
短歌には有名なものから無名なものまでそれはたくさんあるのだが、下の句は知っているけど上の句は知らない、という歌が結構ある。理由はさまざまであろうが、それらがどのようなものか回りの知人・友人にリサーチしてみた。結果、「下の句は知っているが上の句は知らない」ベスト3は以下のようになった。

第三位
  われても末に逢わむとぞ思ふ
崇徳院の歌です。上の句は「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」。詞花和歌集の歌ですが百人一首にも入っているので、知っている人も多いでしょう。この歌の下の句は落語(その名もズバリ「崇徳院」)のサゲになっているため、下の句は知っているという人が多いようです。しかし、百人一首の、それも「むすめふさほせ」の中のひとつですから、上の句もかなり有名です。

第二位
  朧月夜に如くものぞなき
大江千里の歌。上の句は「照りもせず 曇りもはてぬ 春の夜の」。新古今和歌集に収録されています。これ白居易の詩を翻訳したものなのですが、下の句だけで朧月夜の妖しい美しさが伝わってくるので、下の句だけ有名になったんでしょうね。上の句を合わせてしまうと「春のの 朧月」と「夜」が重なって美しくないし。

栄光の(?)第一位
  身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ
空也上人の作ですが、これは下の句だけで立派な諺として成り立っています。上の句の存在など言うだけ野暮って感じですね。ちなみに上の句は「山川の末に流るる橡殻も」です。

さて、下の句が有名な歌があるように、上の句がとても有名な歌もあります。その中でも筆頭は、上の句のうち、最初の一句だけが非常に有名になっています。しかも、その一句は特別な意味を持っていません。なにせ枕詞ですから。その歌はこれです。
  千早振る 神代も聞かず 竜田川
        からくれなゐに 水くくるとは

ちなみに、「とは」とは千早の本名です。