いい意味で興味深い

光市母子殺害事件の差し戻し審判決について意見を述べている以下のブログの内容が非常に興味深い。いい意味で。

この方、過去に弁護団に対してさんざん根拠レスな罵詈雑言を放っていた方なのだが、内容の妥当性はともかく、このように興味深い発言ができるとは素晴らしい。もちろん皮肉でなく。

 最近、この事件に関する本を読んだりして、殺害に至る経緯や被告の生い立ち等に起因する精神的な成長度合いなどから、現弁護団の主張もいくつかは正しいと思うようになったりしまして(単純ですいません)、僕自身は死刑判決は出ないのでは無いかと感じてました。もしかしたら有期刑も有るのでは無いかとも。

「この事件に関する本」というのはおそらく弁護団の主張を元に書かれた本であろう。そういった本を読んで、弁護団の主張に一定の説得力を感じたということである。これは弁護人の職務を考えるにあたって、非常に重要なことである。弁護人というのは被告人の代弁をする立場にあるが、別に被告人の主張をそのまま垂れ流しているわけではない。そんな作業ならスピーカーにでもやらせておけばいい。被告人の主張を筋道立てて整理し、証拠との整合性を図り、法的なエフェクトをかけて説得力のある主張に仕立てなければならない。もちろんそうしたからといって検察官の突っ込みに耐えられるとは限らない。検察官だって法律の専門家だし、弁護人が頑張って弁護したとしても有罪と立証できると考えたからこそ起訴してるのだから。しかし検察官の突っ込みに耐えられないことはあるにしても、弁護側の主張は単独で見れば一定の説得力を有するものである必要がある。それができなければ弁護人の職務は意味がないし、弁護人がそのような弁護をするからこそ、裁判官に正当な判断を促すことができるといえる。
今回の差し戻し審での主張は、高裁の裁判官を説得するに至らなかった。検察官の突っ込みに耐えられなかったわけだが、しかしちゃんちゃんさんのように「弁護団に失礼極まりない罵詈雑言を投げつけていた人」をして一定の説得力を感じさせた理由は、弁護団が、少なくともその弁護方針に基づいた上では、きっちり職責を果たしたからではなかろうか。そして、被告人の主張を精一杯弁護人が弁護したにもかかわらず、検察官が自らの主張の立証に成功したわけであるから、この判決に妥当性を感じることができるというものである。
さらに以下の発言も興味深い。

 また綺麗事ばかり言うなと言われるかもしれませんが、どんな刑になったとしても、被告が本当に全ての真実を話して、本当に謝罪した上で刑に服してくれないか。 また、刑事裁判制度も、弁護団vs検察という図式では無く、一緒になって真実を追求していくものにならないか? と思えてなりません。 あくまで素人のたわごとでしか無い事は解ってはいるのですが・・・

前段はさておき、後段の「刑事裁判制度も、弁護団vs検察という図式では無く、一緒になって真実を追求していくものにならないか?」について、おそらく弁護人に積極的真実義務を課すものだと思われるが、そのような制度は別にちゃんちゃんさんが初めて思いついたものではない。過去に採用されていて、それが改良されて現在に至っているのである。さらに、検察官は被害者の代理人ではない。公益の代表者であり真実義務を課されている存在である。弁護人が果たすべきものは何か、検察官が果たすべきものは何か、そういった基本原則は大昔から日本だけでなく世界中で議論されてきたのだから、そういった成果も踏まえて検討してほしいと思う。

これまた興味深い

刑事弁護人の役割について、これまた興味深いエントリーを立てているブログがありました。

興味深いのは以下。

元少年(このいいかた変だよね?)が真実として語ったんだから弁護士を責めるのはおかしいてきな意見を目にするたびに少し思うことが。

  1. 元少年の出鱈目に騙されるほどバカだった
  2. 元少年の出鱈目を利用してやろうと考えた
  3. 元少年に「今のままでは死刑確実だから」と出鱈目供述を持ちかけた
  4. 元少年がそれまで受けていた弁護が一方的に罪を認めさせとにかく反省しろだった。少年の話は真実に思える
  5. 元少年がそれまで(略)だった。少年の話には真実性が認められないけどそう言っているのだからしょうがない
  6. 元少年がそれまで(略)だった。少年の話には真実性が認められないけどこれを利用してなんとかしよう
  7. 死刑廃止と死刑を逃れたい利害が一致した。死刑にならないなら何でもやるぜ!反省はしていない etc...



4以外は弁護士がバカと言われてもしかたがないような気がします。

確かに3なんかバカというより論外ですが、しかし、たとえば被告人が無罪を主張している場合において、それがいかに無理筋な主張でも、弁護人が勝手に有罪を主張することは許されていません。5の場合がそれにあたるかと思うんですが、そこで「被告人の言うことなんて信じられません」なんて弁護人が言ったら、日本は終わりです。で、その部分について言及されてしまして、

ただ、一つの問題として、こういった個別の事案について弁護士はある程度真実性の追究というものをしなければならないわけですよね。例えば再鑑定の結果を評価したりすることを通じて、やっぱり被告人の主張が間違っていることを確信した場合、それでも被告人のいうことをあくまで守らなければならないのだとしたら、弁護士法にある社会正義という言葉は捨て去るべきでしょう。

この意見に対してはきっちりブックマークコメントで指摘されています。

arrack
当事者主義における真実の追究というのは「互いの主張による結果の産物」ということです。江戸時代のお白州的発想はやめましょう
grizzly1
検事、弁護士、裁判官、それぞれがその役職を全うすればそれでいい筈。
tokoroten999
弁護士の社会正義とは法の下で被告人を弁護することであって、真実を追求したり被告人を裁くことではないとずっと思っていたが間違いなんだろうか
rajendra
何か書こうと思ったけど http://b.hatena.ne.jp/entry/4845688 に書いた事と同じだった。社会正義は法曹三者の営みの総体として実現されるもの。その中で弁護士がこういう役回りをするだけ。

鋭い指摘がズラリ。「江戸時代のお白州的発想はやめましょう」というのなんか勘違いしている点をずばり指摘しています。裁判官・検察官・弁護人の三者が各々に課せられた役割をきっちり果たしてこそ社会正義は実現されるのであって、遠山の金さんにまかせているわけではないのです。
引用が前後しますが、それを理解していれば以下の疑問に答えが出るはず。

弁護士をかばう意見を見ると
「以前にもこういう戦略をとって、結果として反省せず野放しになった犯罪者がいるんだろうな」
と思い、弁護士を貶す意見を見ると
「そうはいっても主張を認めてもらえずやってもない罪で反省した冤罪被害者がいるんだろうな」
と思ってしまいます。難しいものです。

「本当に犯罪者だったんだけど弁護人がきっちり弁護したため野放しになった」というケースは、
(1)検察官が頑張っても有罪を立証できなかった
(2)検察官が手を抜いたので有罪を立証できなかった
(3)検察官が有罪を立証したけど裁判官が判断を誤った
に分かれると思うのですが、(1)は人間の目では有罪とわからないケースですから野放しにされなきゃならないですし(たとえ神にしかわからない真実が有罪であったとしても)、(2)は検察官の、(3)は裁判官の責任です。裁判官・検察官・弁護人の誰かが手を抜いたら社会正義は実現されないのです(後者の場合は「やってない罪でも認めたほうが被告人の利益になる」という場合を考慮する必要がありますが、本質は同じ)。
でもって、このエントリーには「続」があります。

その中の一文。

弁護士の役回りについてはわかるんですが、弁護団を結成して記者会見を開いて被告側の主張を世間に開陳するというのが当事者主義ってわけでもないと思うんですよね。その辺が少し引っかかる。

弁護団の記者会見については賛否両論ありますが、マスコミがまともに(記者会見の内容について)報道しなかったことに一番の問題があると思います。


で、最初のエントリーのブックマークコメントは、反論・批判が多く、ネガティブなタグもたくさんついています。ブログ主のNOV1975さんはそのような意見にきっちり耳を傾けていますが、ある種の人は逆ギレするかもしれません。はてなのシステムはNOV1975さんには便利なシステムだけど、トンデモさんには気に入らないシステムなんだろうなあ、と思いました。